「こんな物」と書いては生産された方に失礼なのだが、今の私にとっては「こんな物」と言う程度の価値しかないのである。
想像は付くと思うが、送ってきたのは息子で、1年前にも送ってきているのだが、当時と今とでは全く状況が変わってしまい、素直な気持ちで受け取ることは出来ないのです。
1年前はこのブログも存在せず、このようなブログを立ち上げる気など全くなかったのだが、その2ヵ月後に大きく状況が変わってしまったのです。
その原因はすでに書いているので省略しますが、この程度の事で私の気持ちが変わるとでも思っているのであろうか。
郵パックの遅配問題もあってか、メールも来てはいるのだが、今の私には返事を書く気持ちにもなれず、ブログのネタとして書くしかできない。
「そこまで意固地にならなくても」と言う方もおられるだろうが、高校に入った頃から顕著になり始めた「母親似」の傾向が、大学進学、社会人、・・・・、となるにつれより顕著になり、結婚後は正に「母親そっくり」と言う状況では何ともし難いのである。
中学2年の3学期に離婚して以後私が育ててきたと言うのに「私には全く似ない」と言う、なんとも不思議な現象に今更ながら驚いているのだが、数年前から気になっている「ヒョットすると?・・・・」と言う気持ちが「正夢?」でなければよいのだが・・・・。
「自分はもう気にしていないから親父も気にしていないだろう」と言う気持ちが多少でも働いているのかもしれないが、大喧嘩した末分かれた妻も良く口にしていた「もう気にしていない」と言う言葉。私は一体どれくらいこの言葉に騙されてきたのだろうか・・・・。
私は「気にしていない」と言う言葉を口にしたら「二度とその事には触れない」と言うことを心がけるのだが、別れた妻は「10年後でも蒸し返す」と言うことを平気でするのですからたまりません。
このように「母親そっくりな息子」である事を考えれば、「正常な親子関係を修復する」と言う事は難しいのではないだろうか。
そもそもの発端である話にしても、私にしてみれば「エッ・・・・!、この程度でキレルの?」と言う程度の話でしかなく、「これでキレられてはとても話は出来ない」と言うのが正直なところなのです。
孫(小学5年の女の子)のためには何とかしたいとは思うのだが、「何時時何所でキレルかわからない」と言う状態ではとても恐ろしくてならないのです。
これが全くの他人であればよくある事で、「それでお終い」にすることも出来るのだが・・・・。
このサクランボは、息子ではなく「可愛い孫(小学5年の女の子)が送ってきた」と思って頂くことにしよう。
想像は付くと思うが、送ってきたのは息子で、1年前にも送ってきているのだが、当時と今とでは全く状況が変わってしまい、素直な気持ちで受け取ることは出来ないのです。
1年前はこのブログも存在せず、このようなブログを立ち上げる気など全くなかったのだが、その2ヵ月後に大きく状況が変わってしまったのです。
その原因はすでに書いているので省略しますが、この程度の事で私の気持ちが変わるとでも思っているのであろうか。
郵パックの遅配問題もあってか、メールも来てはいるのだが、今の私には返事を書く気持ちにもなれず、ブログのネタとして書くしかできない。
「そこまで意固地にならなくても」と言う方もおられるだろうが、高校に入った頃から顕著になり始めた「母親似」の傾向が、大学進学、社会人、・・・・、となるにつれより顕著になり、結婚後は正に「母親そっくり」と言う状況では何ともし難いのである。
中学2年の3学期に離婚して以後私が育ててきたと言うのに「私には全く似ない」と言う、なんとも不思議な現象に今更ながら驚いているのだが、数年前から気になっている「ヒョットすると?・・・・」と言う気持ちが「正夢?」でなければよいのだが・・・・。
「自分はもう気にしていないから親父も気にしていないだろう」と言う気持ちが多少でも働いているのかもしれないが、大喧嘩した末分かれた妻も良く口にしていた「もう気にしていない」と言う言葉。私は一体どれくらいこの言葉に騙されてきたのだろうか・・・・。
私は「気にしていない」と言う言葉を口にしたら「二度とその事には触れない」と言うことを心がけるのだが、別れた妻は「10年後でも蒸し返す」と言うことを平気でするのですからたまりません。
このように「母親そっくりな息子」である事を考えれば、「正常な親子関係を修復する」と言う事は難しいのではないだろうか。
そもそもの発端である話にしても、私にしてみれば「エッ・・・・!、この程度でキレルの?」と言う程度の話でしかなく、「これでキレられてはとても話は出来ない」と言うのが正直なところなのです。
孫(小学5年の女の子)のためには何とかしたいとは思うのだが、「何時時何所でキレルかわからない」と言う状態ではとても恐ろしくてならないのです。
これが全くの他人であればよくある事で、「それでお終い」にすることも出来るのだが・・・・。
このサクランボは、息子ではなく「可愛い孫(小学5年の女の子)が送ってきた」と思って頂くことにしよう。