「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

今まで書かなかったこと  その4

2010-06-21 | 日記
さて、やっとの思いでお金の工面をして中国に送り出したのだが・・・・。
いざとなるとなかなか移植に適した腎臓が見つからなかったのだが、1年半ほどしてようやく移植が可能な腎臓が見つかり、無事に移植は成功したのだが、その後またも難問が発生するのです。
移植後しばらくは拒絶反応があるため入院が必要だったのだが、その後徐々に症状が安定するとともに通院治療で済むようになり、2年後には拒絶反応の心配も少なくなり、日本に帰って治療すると言う事も可能になったのだが・・・・。
ここに至ってまた新たな難問が発生するのです。
新たな難問は、それまでそれ程目立ったところのなかった上海の経済が、この頃から急速に良くなり始め、繁栄を謳歌し始めていたのである。
急速に良くなり始めた原因は、北京オリンピック、上海万博などに向けた建設ラッシュが始まり、次々と新しい高層建築物が立ち始め、町全体が活気にあふれていたのです。
その一方で日本の景気は低迷を続けており、「就職氷河期」などと言われるほどひどい状態で、その実態を知っている彼女は「もう貧しい日本には行きたくない」と言い出したのである。
私も何度か上海に行っているのでわかるのだが、急速な発展は目を見張る思いで、「日本のバブル期以上」と言ってもよい程で、これでは日本に来たがらないのも仕方ない事で、一時は私が上海に移住する事も考えたのだが、生水(水道水ですよ)が不衛生で飲めないことや、慢性的な大気汚染、急速に進む交通渋滞、住宅価格の高騰など、私にとって何の魅力もない町に変わってしまった上海では「移住する意味を見出せない」と言う事で、このまま別居生活を続ける事にしたのですが、いずれは清算する事になるでしょう。
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今まで書かなかったこと  その3

2010-06-20 | 日記
1年半余り経ったある日の事、帰ってきた彼女は誰かに電話をし、少し話をした後私に代われといって受話器を渡してきたのだが、相手は彼女の知り合いだと言う男で、日本語を話せる彼から様々な話を聞かされたのだが、その中で驚くべき事実を知らされたのである。
その驚くべき事実は、彼女が飲んでいた薬は腎臓の薬で、日本に来る前からかなり腎臓の状態が良くなかったらしく、半年に一回中国に薬を貰うため帰っていたのだが、医者に指示されていた食事制限を守らなかったため、とうとう「人工透析が必要」なほど症状が悪化してしまったと言うのである。
血圧が高かったのは「腎臓の機能が低下」した事が原因で、貧血は「偏食」も原因だそうだが、腎臓の機能低下も関係していると言うのである。
そして、日本語が良く話せないため「中国に帰って療養がしたい」と言うことを聞かされたのだが、その後で予想もしない話も聞かされたのである。
予想もしない話とは、日本では「腎臓移植」は非常に困難なのだが、中国では「お金を払えば腎臓移植が出来る」と言うのである。
「どのくらい払えば出来るのか?」と私が聞くと、「20万元」だと言う。
当時1元は「およそ14円」と言う事で、日本円で「およそ280万円」で腎臓移植ができると言うのであるから驚きであるが・・・・。
何故そのようなことが可能なのか聞いたところ、「死刑囚から死刑執行後腎臓を摘出する」と言う事で、移植に適した腎臓が見つかれば直ぐにでも移植が出来るのだそうである。
日本では死刑の執行は極めて少なく、中国と同じシステムにしても移植の機会は殆んど変わらないのだが、中国においては、日本で「懲役10年、15年」といったくらいの犯罪でも、「殆んどが死刑」になってしまい、刑が確定すると間もなく「死刑が執行される」と言う事で、日本とは全くちがうのである。
当時は息子が大学に在籍中で、授業料の工面に苦労しており、更に「280万円」と言うお金を工面するのは容易な事ではなかったのだが、結婚している以上方ってもおけず、やっとの思いでお金の工面をつけたのですが・・・・。
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今まで書かずにいたこと  その2

2010-06-19 | 日記
このような認識の差はいたるところで発生し、所謂「ボタンの付け違い」からお互いの心がはなれ、来日して半月余り経ったころ彼女は突然家出をしてしまったのです。
裏で日本に住む同じ中国人が手引きをしていたようで、一緒に来日した女性が2人同じ日に蒸発していたそうである。
後でわかったことなのだが、彼女たちの多くは日本人と結婚するために「多額の紹介料」と言うものを払っており、その多くを借金で賄っているため「どうしてもお金が必要」だったのです、が・・・・。
現実には、バブル崩壊後の日本で高い収入を得るにとは殆んど出来ず、風俗関係の仕事に付く人も少なくないようですが、その仕事を仲間内では「マッサージの仕事」と言っており、知らない中国人は「中国と同じマッサージの仕事」だと思っているのです。
日本では本来のマッサージを受ける人は少ないのだが、中国ではごく当たり前のようにマッサージを受けており、私も何度か体験しましたが、その多くは「個室ではない」と言う事で、性的なマッサージなどしようがないのです。
結局彼女も日本式マッサージの実態を知り、普通の仕事を探したようなのですが、少しでも高い時給の仕事を探したて回ったようで、1年余りかけて借金を返済したらしいのだが、そのことが「新たな重大問題」を引き起こすのです。
家出をして2ヶ月くらい後に所在がわかり、3ヶ月に一度くらいは家に戻ってきていたのだが、来日以来毎日のように「日に3回4種類の薬」を飲んでおり、来日当初「何の薬か?」と聞いたところ、「血圧と貧血の薬」だと言う答え(筆談で)が返ってきていたのだが、実際は全く違っていたのです。
彼女は日本語が殆んどわからず、私も中国語がわからないため、薬の入っている袋の文字がよくわからず、「血圧や貧血の薬にしては少しおかしい」と思いながらそのままにしていたのだが、1年余り経ってその実態がわかったのです。
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今まで書かずにいたこと  その1

2010-06-18 | 日記
私が離婚をしたことは書いているのだが、「その後再婚した」と言う事は何となく書く気にならず、特別触れずに来たのだが、ここに来てやっと書く気になりました。
再婚するきっかけになったのは、12年前にある結婚相談所の勧誘に応じたことがきっかけで、相手は「中国人」だったのです。
始めは日本人とお見合いを何度かしていたのだが、「決定権は女性が持っている」と言う事でなかなか話が決まらず、「中国人ではどうですか?」と言う話になり、急遽パスポートを作って上海までお見合いに行ったのです。
それまで飛行機に乗ったこともなく、当然のことだが「外国に行った事もない」と言うことで、「こんな機会でもないと外国に行く機会はないだろう・・・・」と言う程度の安易な気持ちで、正に「ダメモト」と言う気持ちで行って見たのですが・・・・。
結果は予想外にうまく話が進み、同行した9人全員が結婚相手に巡り合えたのですが・・・・、残念ながら「悲惨な結果」が待っていたのです。
正直に言うと「双方の認識が違い過ぎた」と言うことが根底にあり、お互いが「カルチャーショック」に陥ってしまったのです。
日本人から見れば「中国は貧しい国」だと思いこみ、もう一方の中国人から見れば「日本人は金持ちで気前が良い」と言う先入観を植え込まれていたのだからたまったものではなかったのです。
それでは何故「日本人は金持ちで気前が良い」と思われたのかと言うと、バブル期の日本で働いてお金を稼ぐだけ稼いだ中国人の多くが、バブルがはじけると同時に中国に帰り、「日本人は金持ちで気前が良い」と言う話を広めてしまった事が主な原因で、その後の景気低迷の話は聞かされていなかったのです。
この頃は、日本人でも「時給千円」と言う仕事は少ないと言うのに、「時給千五百円の仕事がいくらでもある」と聞かされているのですからどうにも仕様がないのです。
それ以外にも「大きな家に住み、高級車を乗り回している」と聞かされ、「日本全体が東京のような都会の国」だと思われており、私が住んでいるような地方都市など全く想像もしていなかったのです。
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急に上達?

2010-06-17 | 日記
先週は強敵相手に「0勝4敗」だった事はすでに書いたが、今週は何とか「2勝2敗」で終わることが出来た。
アコアーは「155,255,197」で、1ゲームと3ゲームは負けたのだが、3ゲームトータルでは2ゲーム目の貯金が利き「1ピン差」で勝つことが出来ましたが、1ゲーム目は「ストライクは5個出たのに、後の7フレームは全てオープンフレーム」と言う事で、一つでもスペアーが取れていれば勝てたゲームだったのが残念です。
結局3ゲームのトータルは「607」で、アベレージは「202」だったのですが、前日の練習はレーンコンディションがよく、スペアーが良く取れたので「196,217,177,215,236、トータル1041(アベ208)」と、過去最高の出来でしたが、今日のレーンは昨日より早いレーンだったのでスペアーを取るのに苦労したのです。半年前までは「アベ180が目標」で、実際には「170前後」と言う状態だったのだが、今年は「平均でも180以上」と目標を達成できたようで、次は「ハンディー0(190以上)」を目標に頑張らなくてはいけない。
2ヶ月くらい前にフォームを改造した効果が出てきているようで、フォームをより安定できれば「アベ200以上も夢ではない」と言うところまで来たようだが、正直な話、上手な人は何個ものボールをレーンコンディションによって使い分けているのだが、私の場合は「たった一個のボールだけ」と言う事と、プロテクターを使ったり「指にテープを巻く」と言う事も一切しないのですが、このことは私の「密かな誇り」でもあるのです。
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強敵現る

2010-06-11 | 日記
先週14人によるリーグ戦が終わり、最後の追い込みが功をそうして「第3位」に入り、「ベストアベレージ賞」も頂いたのだが、今週から始まった新しいリーグ戦は「20人」になり、新しいメンバーが増えたのだが、その中に一人「場違い?」な人が混じっている。
早速第一週の9日に対戦する羽目に陥ったのだが、私は「3ゲームで542」と、それ程悪いスコアーではなかったのだが、対戦相手は「3ゲームで621」と、全く相手にしてもらえず、「0勝4敗」と、惨憺たる結果に終わってしまいました。
少し前まではもっとレベルの高いリーグ戦に参加していたそうだが、何らかの理由でやめてこちらのリーグ戦に移ってきたのだそうだが、一人だけ飛び抜けた存在で、この調子で行くと「ダントツの一位」は決定的で、「ベストアベレージ賞」「ハイゲーム賞」なども総なめにしてしまいそうで、「仲良しリーグじゃなくなる」と言う声さえ出始めているのですが・・・・。
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睡眠時間は2時間半

2010-06-01 | 日記
30日の日曜は、「5時に寝て7時半に起きる」と言う、歳に似合わぬ馬鹿げたことをしてしまった。
「5時に寝る」と言う事は普段と変わらないのだが、「7時半に起きる」と言う事は通常は有り得ないのだが、8時半から「地区の草刈」と言う事で仕方なく起きたもので、年に10回くらいはあるだろうか・・・・。
早く起きなければいけないのだから、「その分早く寝る」と言うことが出来れば問題は無いのだが、私の場合はそんな器用な事は出来ないのです。
人によっては「昼寝をする」と言う事で睡眠不足を解消する事もあるのだうだが、私は昼寝もしない(出来ない?)のです。
しかし、睡眠不足の影響は様々な部分で現れ、夜9時から行ったボーリングでは悲惨な結果に見舞われてしまいました。
自分ではそれ程感じてはいなかったのですが、さすがに睡眠不足の影響は顕著に現れ、最近の平均アベレージが「178」で、「150以下は殆んど無い」と言う状態だったものが、このときはナント、最低が114で、最高でも170しか出せず、「平均で142」と言う「ボーリングを始めた頃(40年前)のスコアー」にしかならなかったのです。
リーグ戦のほうは、現在「ハンデー10(190が基準です)」で、勝敗は「26勝26敗」で、2日はいよいよ最後の「ポジションマッチ」なのですが、今の状態ではとても満足なゲームは出来そうに無く、「1勝でも出来れば良し」と言ったところでしょうか。
しかし、前回のリーグ戦もそうだったのだが、「上位にいるのは女性ばかり」と言う事で、ハンデーの決め方が「190を基準に、女性は90%、男性は80%」と言う事が大きく影響しているのです。
「たかが10%」と思うかもしれないが、実際には「1ピン2ピンの差」と言う事も良くあり、「10%の差」が大きくものを言うのです。
リーグ戦を始める前は「180を基準に」と言う話だったのだが、一部の人が頑張り過ぎ?て、「3ゲームで600以上」と言うスコアーを出したため「180を190に変更」と言うことになってしまったのですが、その人たちも「今では170前後」と言う事で、今では私のハンデーが最も少ないのですから皮肉な話です。
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