「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

今日のボーリングは「2勝2敗」でした

2010-04-29 | 日記
今日のスコアーは過去最低だったのだが、対戦相手に恵まれて2勝する事が出来ました。
1ゲーム目と2ゲーム目は僅差で負けたのですが、3ゲーム目で50ピン近い差をつけて勝てたため「トータルピン」で勝てたのです。
全体的にスコアーが伸びなかったのだが、その中で「3ゲームで600近く」を出しながら全く勝てなかった人もおり、ハンデーの差による明暗が分かれてしまうこともよくあるのです。
日曜日には「7ゲームの平均で188」だったのだが、昨日練習した時は「6ゲームの平均が168」と低迷してしまい、何となく嫌な予感がしたのだが、スコアー的には予想どうり悪く、「3ゲームで495(平均で165)」しか出せなかったのだが、相手もかなりの不調で助けられてしまったのです。
「今日は1勝出来れば」と思っていたのだから「2勝出来たのは幸運」と言わなくてはいけないだろう。
来週はゴールデンウイークでお休みなのだが、次の対戦相手は「私より40ピン近くハンデーが多い」ため、余程頑張らないと勝てそうになく、早く新しい投球フォームに慣れなくてはいけないのだが・・・・。
過去には「37」と言う大きなハンデーの差に泣かされた事があるのだから。
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ボーリングのその後

2010-04-28 | 日記
以前調子を落としたことを書いたのだが、その後も不調の波は収まらず、10日余り前ついに「フォームの修正」を決行しました。
フォームを修正する気になったのはある人の助言がきっかけで、その人のフォームを参考にすることにしたのです。
その人は年に数回は「パーフェクトゲーム」を達成するほど上手な人で、たまにしか合う事はないのだが、会う度に色々な助言をしてくれるので助かるのです。
今回はフォームの問題だけでなく「普段一緒にプレーをする相手を選べ」と言う事も言われたのですが、言われてみると思い当たるふしがあるのです。
去年までしばしば一緒にプレーをしていた82歳の人が突然癌で正月に亡くなってしまい、その後はある人に誘われて一緒にプレーをするようになったのですが、その人の投球フォームは「癖のある独特なフォーム」だったのです。
去年まで一緒にプレーをしていた人は、私と同じような投げ方をしていたのでお互いに参考になっていたのですが、この人の場合は全く参考にならず、いつの間にか私の投球リズムまでが狂ってしまっていたのです。
一時は185に迫るほどのアベレージだった物が、気が付くと「170をきる」と言うところまで下がってしまい、シングルスリーグのハンデーも「5から10へ」と変わってしまい、成績も「4週間で3勝13敗」と大きく負け越してしまったのです。
68近くにもなって投球フォームを変えるのはかなり勇気のいる事ではあるが、現状に甘んじる事が嫌い(へそ曲がり)な私である。
フォームを変えた直後はさすがに上手く行かなかったのだが、ゲームを重ねるにつれコツがつかめるようになり、先週のリーグ戦では「アベレージが184で3勝1敗」と、久しぶりに満足のゆく結果が出たのですが、3ゲーム目をもう少し頑張れば「4勝0敗」と言う事もあったのですが、残念ながら「7ピン差」で負けてしまいました。
10フレーム目の1投がストライクだったので、次にストライクが出れば勝てたのですが、残念ながら僅かに厚く入ってしまい「4番ピンに嫌われる」と言う結果に終わりましたが、4番ピンが僅かに揺れながら倒れてくれなかったのが残念でした。
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私は夜型人間?

2010-04-28 | 日記
私のブログを読んでくださっている方は、私のことを「夜型人間」だと思っている人が多いのではないだろうか。
普通の年寄りであればそろそろ目が覚めてもおかしくない時間にこうしてブログを書いているのだから、常識的に見れば「夜型人間」と思われても仕方ないのだが、実際には「昼間も元気」なのです。
以前にも少し書いているのだが、私が寝る時間は大体「明け方の5時頃」で、起きるのは大体「昼前後」と言うことになるのだが、若い世代には特別珍しい事でもないかもしれないが、後一ヶ月半で68になる私では「気違い沙汰」と言うべきだろう。
更に気違い沙汰なのは、朝(昼頃だが)起きた瞬間にはスッキリと目覚めており、直ぐに「戦闘モード?」に切り替えられるのです。
多くの場合「昼間は強いが夜は弱い」か「夜は強いが昼間は弱い」のいずれかなのだろうが、私の場合は「昼間も夜も強い」のだが、寝る時間が遅い分「早起きは苦手」なのです。
このような生活スタイルになった理由は、元々が「宵っ張りの朝寝坊」と言う事もあるのだが、最も大きな原因は「趣味が多すぎる」と言う事で、あまりにも手を広げすぎた結果なのである。
元々が「好奇心旺盛」なたちで、この旺盛な好奇心が衰えない限りこの生活スタイルは変わらないのではないだろうか。
しかし、私の知る範囲では「することがなく暇を持て余している」と言う高齢者が多い事を考えれば「私は幸せ者」と言うべきかもしれないが・・・・。
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私の本当の歳は?

2010-04-10 | 日記
後2ヶ月で68歳になるのだが、正直な話「実感が全くわかない」のです。
ブログ通信簿では「18歳・女性(女子高生?)」と出たり、体重計で測れば「体内年齢・41歳」と出、昼間かかってきた電話では「声がお若いようなので20代後半ですか?」と言われる始末。
「相手はお世辞を言っている」と思われるかもしれないが、かつて実の姉がら電話がかかってきた時などは「お父さんと替わって」と言われたことも有るように、自分では全くわからないのだが、電話で話す声は実に若く聞こえるらしいのである。
何故このような現象が起きるのかはよくわからないのだが、一つの可能性として「プラス思考(ポジティブ)」と言うものも大きく関係しているのではないだろうか。
「病は気から」と言う言葉もあるように、何事もマイナス思考では気分も落ち込んでしまい、「精神衛生上よくない」と言う事になり、それが声の張りや表情にも出てくるのだろうが、私の場合はそれ以外にも元気の元があるようである。
先日保健センターで献血をしたのだが、献血をすると肝機能やコレステロール値など各種の検査もしてくれ、その結果がハガキで送られてくるのだが、肝機能、コレステロール、中性脂肪ともに正常で、去年から始まった糖尿病に関する検査の数値も正常で、血圧も「上が140前後で、下も80以下」と、殆んど何所にも問題がなく、「メタボ」にしても「お腹の周りが95」なので引っかかりそうだが、実際にはお腹の周りだけが引っかかるだけで、それ以外は何も問題がないのであるが、正直な話「後5キロ体重を減らしたい」とは思うのだが、無類に丈夫な胃腸のため「食欲が落ちる事がない」と言う悩みを抱えているのである。
私の胃腸の丈夫さは「真夏でも食欲が落ちない」と言う事で、殆んど夏バテをした記憶がないのです。
多くの人が夏バテで食欲が落ち「さっぱりした物が食べたい」と言う頃でも、私は「トンカツ、天麩羅、肉」などなんでも平気で、むしろ「さっぱりした物(ソーメンなど)を食べたい」と言う気持ちにならないのですからおかしな話です。
ついでながら「歳をとると脂っこいものがダメになる」と言われているのだが、これも私には関係ないことなのです。
また「無類の甘党」で、和菓子から洋菓子・アイスクリーム・・・・と、こちらも好き嫌いがなく、むしろ「甘いものが無いとイライラする」と言うほどなのですから、お腹が出るのは仕方ない事なのでしょうが・・・・。
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付いたあだ名は「漁業組合長」

2010-04-09 | 日記
最近はする機会が全くなくなってしまったのだが、私はかなりの釣り好きで、自分で言うのもおかしいが「かなり上手い方」だと思っている。
タイトルにある「漁業組合長」と言うあだ名は、会社のバーベキュー大会の折、目の前の川で数人が釣りを始めたのだが、私だけは少し離れた場所に陣取り、次々とヤマベ(オイカワとも言うが)を釣り上げていたところ、普段「ヘラブナ釣り」を自慢していた男が「雑魚など誰にでも釣れるよ!」と野次を飛ばしてきたのである。
「カチン!」と来た私は「それならお前が釣って見せてくれ」と言って、私が使っていた竿を渡し、私が釣っていた場所で「同じ餌」を使って釣りを始めさせたのだが、私が予想をしていた通り「全く釣れない」のである。
そばで見ていた私はつい「それでは釣れないよ」とか、「あと5センチ右側でないと釣れないよ」とか言ってしまったのである。
余りに私が横から口出しをしたため「うるさくて釣る気にならない!」とか言って竿を返してきたのだが、その後も私だけが同じ場所で次々と魚を釣り上げるため、いつの間にか「漁業組合長」なるあだ名がついてしまったのです。
こんな事は特別珍しいことではなく、息子が小学生の時、同級生の家族5人と新潟県の出雲崎に行った時の事だが、始めは私だけが寺泊港の岸壁で釣りをしていたのだが、途中から他の7人も集まり、息子を含めた4人の子供たちが「僕たちも釣りをしたい!」と言い出し、たまたま私が余分に持っていった竿が有ったので子供たちにも釣りをさせたのだが・・・・。
ここで予想外の事態が発生してしまったのです。
「予想外の事態」とは、子供たちが釣りを始めると直ぐに、手のひらサイズの魚が釣れ始めるのだが、そばには私以外に「妻と同級生の親の3人もの大人がいる」と言うのに、誰も手伝おうとはしないのである。
子供たちは次々に「釣れた!釣れた!」と言って喜ぶのだが、それまで魚に触った事もないためどうしてよいかわからず、結局は私のところに助けを求めてくるのです。
この結果、次々に子供たちに釣れる魚をはずして餌を付けることの連続で、肝心の私は全く釣りをすることが出来なくなってしまったのです。
このときの事は今思い出しても腹の立つ事で、私から見れば、妻を含めた3人の大人が「何もせずにタダ傍観する」と言う神経が今もって理解できないのです。
話が少し横道にそれてしまったが、子供の頃から釣りは得意で、中学1年の夏に臨海学校で観音崎に行った時も、同級生たちが「そんな所じゃ釣れっこないよ!」と言うような場所で、20センチくらいの「ヒネハゼ(生まれて1年経ったハゼで、数も少なく余り釣れない)」を何匹も釣って驚かせた物です。
これは少し余談になるが、泳ぎが全くダメな「カナズチ」にもかかわらず「船に乗るのが好き」で、それも唯乗るのではなく「漁船の舳先から身を乗り出して海を見る」とか「漁船のマストの上(見張り台)に登る」と言った事が好きで、「突きん棒船の舳先」にも行った事が有るのですが、這って行くのがやっとで、さすがに立つ事は出来ませんでした。
このように、私はかなり危険の伴うようなことも平気でしたため、危うく海に落ちそうになったことが3回も有るのですが、それでも懲りずにいるのですからおかしな話でしょう。
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勝負(賭け事)に弱い私

2010-04-08 | 日記
昔からそうなのだが、私は至ってプレッシャーに弱いのです。
今を去ること40年も昔の事だが、当時は不動産業界で働いていた事と、車を持っていた関係もあり、時折仲間と一緒に競馬場や競艇場に行く事があったのだが、馬券を買わずに予想だけをすると、何故か面白いように的中するのだが、それではと思い馬券を買うと「裏目」に出ることが多く、「お前は買わずにに予想だけしていろ!」と言われる始末で、もっぱら仲間に儲けさせていたのです。
ボーリングでも同じような事が言え、大会に出ても普段の実力より低い点しか出せず、常に下位を低迷していたのです。
それでも、昨年の12月から始まった個人で争う「シングルリーグ」に参加し、8人で争う第1回のリーグ戦では「準優勝」までは行ったのだが、実際には優勝できるチャンスを3回も逃しているのです。
第2回は14人に増え、今日半分を消化したのだが、今日を含めて3週連続で「勝てる相手に負ける」と言う有様で、初めは上位にいたものが、3週続けて負け越したため、通算成績は「11勝13敗」になってしまったのですが、何故か私と全く正反対の人がいて、私もそうだったのだが、この人と対戦すると「何故か実力が発揮できない」のです。


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再び百合さんのご要望?に答えて

2010-04-07 | 日記
確かに、40年前は車など持てる人は極一部で、それも多くは中古車でしたが、私の場合はナント「ピカピカの新車」だったのですが、それには深いわけがあるのです。
その頃の私は不動産業界で働いていたのだが、たまたま働いていた会社で「半分会社がお金を出すので、各自好きな車を買っていい」と言う話が持ち上がったのですが、会社が半部お金を出す以上「営業で使える車」と言うことが絶対条件であったが、仕事が終わったあとや休日は「自分の車」として自由に使うことが出来たのですが、半年余りたった頃突然会社が倒産してしまい、会社の分も含めて3年で返済する事になっていたローン全てを背負い込む事になってしまったのです。
この会社の倒産は、後に全国紙一面に載るような詐欺事件に発展する事になるのだが、この事はすでに書いているので省略しますが、残りのローンを返済し終わるまでの苦労は並大抵の事ではなかったのです。
その時の車の値段は、かなり値引きをしてもらったので「89万円」だったが、当時はクーラー付きの車は殆んどなかった時代に、ナント「クーラー付き」で、この値段は「当時のサラリーマンの年収くらい」に相当し、現在のお金に換算すると「300万~400万」くらいではないだろうか。
次にボーリングの件だが、特に私が上手いわけではなく、私の周りには「アベレージが200以上」の人が沢山おり、私は「平均レベル」と言ったところではないだろうか。
上手くなるためにはある程度投げ込む必要があるが、多くの人が投げている「ストレートボール」では高得点を狙う事は難しく、プロと同じような「左に曲がるボール」をマスターする必要があるのだが、そのコツをここに書いたとしても「言うは易し、行うは難し」なのですが、私の場合は、ボーリングを始めた初期の頃に偶々耳にした「握手をするのと同じように腕を振ればボールは自然に曲がる」と言うことを聞き、早速試したところ上手く左に曲がってくれ、それが今につながっているのです。
更に幸運だったのは、4ヶ月前に非常に安い値段で女子プロの指導を受ける事が出来たのですが、一緒に講習を受けた人でも「効果の有った人と無い人」が有り、私は最も上達した一人なのです。
週に1回2時間×4週間で「ゲーム代も含めて4,000円」と言うのですから、正に「破格の値段」と言う他なく、通常であれば考えられないような値段だったのです。
ついでに言うなら、私の場合は「最も基本に近い投げ方で、変な癖が付いていなかった」と言う事で、教える方としても「教えやすかった」ようで、癖(個性)が強い場合は教えるのも難しかったようです。
最近は少しスランプ気味で、一時に比べると10ピンくらい成績が悪くなっており、14人でのリーグ戦も「11勝13負」と負け越しており、前回のリーグ戦の「8人中二位」と比べると大幅な順位低下になっています。
2週続けて勝てる相手に負けているので、明日は何とか頑張らないと・・・・。
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私は怖い人?

2010-04-04 | 日記
今に始まったことではないのだが、世の中には私を「怖い人」だと思っている人がけっこういる。
昔から誤解されやすいタイプで、初対面の人には「真面目で几帳面で冗談など言わない怖い人」だと思われることが多いのだが、実際に話してみると「エッ?!」と思われることが多いのだが、中には第一印象だけで決め付けて、私が何気なく口にした言葉を悪い意味で受け取ってしまう人も少なくないのである。
更に困る事は、外見から、私が「お金に困らない裕福な人」だと思われてしまうことである。
子供の頃から「不安な気持ちが表に出ない」と言う傾向が強く、内心は不安で一杯なのに「傍から見ると落ち着いている」と見えるようで、18歳の時生まれて初めて長野県の白馬まで長距離の一人旅をしたときの事だが、たった一人で全く知らない土地に始めていく不安で一杯の私に、たまたま向かいに座っていたおばさんから「あんたずいぶん旅慣れてるねー!」と言われたのだが、不安な気持ちを正直に話したところ「ぜんぜんそんな風に見えないよ」と言われてしまったが、50過ぎて初めて海外旅行(上海)へ行った時も、初めて乗った飛行機の隣の席の人に「初めて飛行機に乗るのですが、何回ぐらい乗ったら慣れますかねーー!」と聞かれてしまい、「私も初めてですが」と言うと「エッ?」と言って驚かれてしまった。
その人によると、私は相当海外旅行をしているように見えたそうで、「とても初めて飛行機に乗る人とは思えなかった」のだそうである。
また、30くらいの頃は「取締役営業部長」と言う肩書き(部下は待ったくおらず、肩書きだけ)で、社員が200人以上いる中堅の不動産会社やその他の不動産会社、銀行、・・・・などとの交渉をするときでも、私のこの外見が大いに役に立ったのですが、対外的な仕事では役に立つ外見も「普段の生活ではマイナスになる事もある」のです。
しかし、多くの場合は少し話すと誤解が解けるので、相手によっては「30分後のは掛け合い漫才のようになる」と言う事も珍しくなく、傍から見ると「幼馴染み?」と思われたこともよくあるのです。
子供の頃は「引っ込み思案でおとなしく目立たない子」だった私であるが、21の時に偶然出会った心理学の教授から「お前は損な性格だが、お前のような人間がいないと困るので、損な性格を受け入れられるなら変えずに貫け」と言われた事がきっかけになり、それ以後は自分に自信を持つことが出来るようになり、たとえ100人に理解されなくても「タッタ一人でも真の理解者がいればよい」と考えるようになり、私を「怖い人」と思う人は「可哀相な人」だと思うことにしています。
また、日ごろよく口にする「俺はへそ曲がりなので・・・・」と言う言葉は、その裏に「悔しかったら俺のようになってみろ!」と言う腐肉の意味も含まれているのですが、時には自分で「困った性格だな」と思うこともあるのですが・・・・。
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百合さんのご要望?に答えて

2010-04-02 | 日記
私がボーリングを始めたのは今をさかのぼる事「40年も昔」の事で、当時は正に「ボーリングブームの真っ盛り」の頃で、会社の同僚に付き合ったことがきっかけで始めましたが、当時のボーリングブームの加熱ぶりは今の人には想像も付かないだろうが、今の数倍ものボーリング場がありながら「2時間3時間待ちは当たり前」と言う状態で、車を持っていた私たちは、少しでも早くできるボーリング場を探すために「ボーリング場めぐり」までしたのです。
ゲーム代は今と大差なかったのだが、サラリーマンの多くが「月給10万以下」と言う時代だったので、今の給与水準に当てはめれば「1ゲーム千円以上」になるのではないだろうか。
しかし、このブームも長続きはせず、数年後には多くのボーリング場が閉鎖されてしまい、私は家を建てたこともあってボーリングをやめてしまったのです。
この頃のアベレージは「160~170」と言ったところで、至って平均的なレベルで、とても自慢できるような数字ではありません。
この後10年くらいは全くボーリングから遠ざかっていたのだが、その後「年に1か2回(会社のボーリング大会など)」と言う時代が20年程続き、60くらいの頃から「月に1回」なり、63で「週1回」になり、65になって国民年金(それまでは厚生年金25年分で、国民年金は15年分)を貰うようになって「週2回(火曜と木曜はレディース&シニアサービスデーなので)」になり、「週3回」になったのは4ヶ月前からの事です。
アベレージが180以上になったのは、昨年11月にボーリング場主催のボーリング教室(週1回2時間×4回)に参加し、女子プロの指導を受けた事がきっかけですが、2週間前に親指のつけ根に出来たタコが割れてしまい調子を落としています。
60くらいまでは16ポンド(最も重いボールで、これ以上重いボールはありません)を使っていたのだが、何分にも昔作ったボールで、最近のレーンやオイルに合わず、止む無く15ポンドのボールを作ったのだが、最近ではこれでも少し重く感じるようになり、これがタコの割れる原因にもなっているようですが、今は14ポンドに落とすかどうか迷っているところです。
昨日もリーグ戦があったのだが「180,169,154」で、私より3ゲームで27もハンデーの多い人(私が24で、対戦相手は51)に負けてしまいました。
先週も同じような結果で、タコが割れたことで2週続けて勝てる相手に負けてしまったのです。
来週はもっとハンデーの大きい人が対戦相手で、「平均185以上」ださないと勝てる可能性は薄いので、それまでに何とか指の状態を治さなくてはいけないのだが・・・・。
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