親が子供との縁を切ることで「清々した」と感じるのは非常識もはなはだしい事だろうが、これは私の本意から出た言葉ではなく、結果から考えれば「苦汁の決断から立ち直るために出たやせ我慢」と言えるだろう。
私が妻と別れたのは「息子が中学2年の3学期」で、私が息子を引き取って育てた事はすでに書いているのだが、高校に入った当初まではそれ程気にならなかった息子の性格が、高校に入った後徐々にではあるが母親(別れた妻)に似てくるのである。
それでも高校時代は問題になるレベルではなかったのだが、大学に入って私の元を離れて生活をするようになるとより顕著になり始め、次第に「母親そっくり」と言うレベルにまでなってしまい、今では「一卵性親子」と言ってもよいほどになってしまい、私と似た部分は殆んど見られなくなってしまっているのです。
話をしても「親子と言うより他人と言った方がよいのでは?」と言う状態になってしまい、まともな会話にならないのです。
よく言うところの「子は親の背中を見て育つ」と言う言葉は全く当てはまらず、「本当に私の子供なの?」とさえ考えてしまう程似ていないのです。
このように「私に全く似ないで母親そっくり」と言う事は、我慢に我慢を重ねた末に妻と別れている事を考えれば「いずれ息子とも同じ状態になる」と言う可能性が非常に高く、そうなってからでは重大な問題に発展する可能性もあり、仕方なく「私の方が息子たちの前から姿を消す」と言う苦渋の決断をすることにしたのです。
一部には私のことを「神経質で几帳面で怖い人」と思う人もいるのだが、実際の私はその反対で「冗談を連発する面白い人」だと言われているのだが、一部の「劣等感を持っている人たち」にとっては面白くない存在のようで、私の冗談を悪意で受け止めてしまうのです。
冗談を悪意で受け止められてはたまったものではなく、このような人たちには「何を言っても悪意にしかとられない」と言う事で、「話せば話す程溝が深くなる」と言うことにしかならないのですが、更に困った問題があるのです。
別れた妻は特に顕著なのだが、私に対しては「尊敬している」と言うことを言いながら、一歩家の外に出ると「隣の人とでも平気で私の悪口を言う」と言う状態で、正に「陰日向がある」と言う困った人たちなのです。
このように「常に神経をすり減らすような日々」から開放された事で「清々した」と言う気持ちになったもので、そう考えなくてはこれからの一人暮らしはやって行けないだろうが、お金を無心された挙句に捨てられた人から見れば「未だまし」だと思わなくてはいけないかもしれないが・・・・。
私が妻と別れたのは「息子が中学2年の3学期」で、私が息子を引き取って育てた事はすでに書いているのだが、高校に入った当初まではそれ程気にならなかった息子の性格が、高校に入った後徐々にではあるが母親(別れた妻)に似てくるのである。
それでも高校時代は問題になるレベルではなかったのだが、大学に入って私の元を離れて生活をするようになるとより顕著になり始め、次第に「母親そっくり」と言うレベルにまでなってしまい、今では「一卵性親子」と言ってもよいほどになってしまい、私と似た部分は殆んど見られなくなってしまっているのです。
話をしても「親子と言うより他人と言った方がよいのでは?」と言う状態になってしまい、まともな会話にならないのです。
よく言うところの「子は親の背中を見て育つ」と言う言葉は全く当てはまらず、「本当に私の子供なの?」とさえ考えてしまう程似ていないのです。
このように「私に全く似ないで母親そっくり」と言う事は、我慢に我慢を重ねた末に妻と別れている事を考えれば「いずれ息子とも同じ状態になる」と言う可能性が非常に高く、そうなってからでは重大な問題に発展する可能性もあり、仕方なく「私の方が息子たちの前から姿を消す」と言う苦渋の決断をすることにしたのです。
一部には私のことを「神経質で几帳面で怖い人」と思う人もいるのだが、実際の私はその反対で「冗談を連発する面白い人」だと言われているのだが、一部の「劣等感を持っている人たち」にとっては面白くない存在のようで、私の冗談を悪意で受け止めてしまうのです。
冗談を悪意で受け止められてはたまったものではなく、このような人たちには「何を言っても悪意にしかとられない」と言う事で、「話せば話す程溝が深くなる」と言うことにしかならないのですが、更に困った問題があるのです。
別れた妻は特に顕著なのだが、私に対しては「尊敬している」と言うことを言いながら、一歩家の外に出ると「隣の人とでも平気で私の悪口を言う」と言う状態で、正に「陰日向がある」と言う困った人たちなのです。
このように「常に神経をすり減らすような日々」から開放された事で「清々した」と言う気持ちになったもので、そう考えなくてはこれからの一人暮らしはやって行けないだろうが、お金を無心された挙句に捨てられた人から見れば「未だまし」だと思わなくてはいけないかもしれないが・・・・。
昔「事実は小説より奇なり」と言う言葉が流行った事が有るが、現実の世界では「小説より奇なることだらけ」なのです。