私の損な性格。
これはしばしば起きることではあるが、とんでもない誤解から生まれるのだから厄介なのです。
それは・・・・。
会議などの場で言われることなのだが、「何時もお前の意見でことが収まる」と。
私の意見?。
私の意見は全く違うところにあることが多いのだが・・・・。
実は、私はあまり意見は言いません。
始めはひとの意見を聞くことに徹するのだが・・・・。
ある程度意見が出尽くしたころに私が発言する。
この発言だが、「全体の意見の公約数」的な事を言うのである。
そう、「この場ではこれでだいたい決まるだろう」という予測の元に発言するので、私の発言どうりに決まりやすい。
が、これは私の考えとは違います。
それをわかってくれる人も多いが、誤解されることも多いのです。
別の言い方をするなら「妥協案」ということもできるが。
が、私は「多数決」は極力避けるようにします。
なので、自分にとっては都合の悪い意見も言います。
最近の自治会の集まりでは高齢者が半数以上を占めるため、私はあえて若い世代の側にも立ちます。
私のような高齢者が若い世代の側に立つと・・・・。
多くの高齢者は身勝手なことを言いにくくなります。
それが誤解の元になることもあるが。
とかく日本では「多数決」で何でも決めたがるが、民主主義に「多数決」は存在しないのだが・・・・。