「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

ここで少し横道に

2011-03-05 | 日記
全くの偶然ではあるが、NHK のニュースで中国海軍の事を放送していたのだが、そこに出て来た艦船の形を見て「ビックリ!」である。

艦船の種類は分からないのだが、基本的な型は、私が中学の幾何の時間に書いていた船の形とよく似ているのである。

私はその当時、東京の石神井公園の池で夏に開催される「模型モーターボート大会」に参加するために、早く走れる?船を考えていて、授業中ににもかかわらず、突然アイデアがひらめいたのである。

この頃は、授業の内容もチンプンカンプンで、授業には全く集中出来ず、何時も何かしら他の事を考えていたのである。

このため、時折先生からチョークが飛んでくることもあり、よく怒られたものであるが、今思い出すと「楽しい?思い出」ではあるが・・・・。

さて、船の設計図は出来たものの、結局は「財源不足?」で日の目を見ることもなく、普段は記憶の片隅に追いやられているのだが、何かの折につけて思い出すのである。

私が船を作ることに興味を持っていることは父も知っていて、高校を中退した後何もせずにいると「お前は船が好きなのだから、商船学校へ行け」と言われたのだが、私にとっては「早稲田以外は俺が行く学校ではない」と言った感じで何の反応もしなかったので、その後は何も言わなくなったのである。

そのころの「母は?」と言うと、相も変わらず「自分の保身だけ」と言った感じで、私のことには全く関わろうとしなかったのである。



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高熱ついでに「ケガ」の事も

2011-03-01 | 日記
小学2年の冬休みに、足の裏に膿が溜まり、切開手術をしたことがあるのだが、それ以外のことでは、ケガで病院に行ったことはないのである。

子供のころから工作が好きだった私だが、当然のこと?とは言いながら、ナイフなどで切り傷を作ることも珍しくなかったのだが・・・・。

今までの話から想像がつくと思うが、怪我をしても誰も手当てをしてくれず、何時も自分で手当てをしてきたのである。

世の中には「化膿しやすい体質の人」と「化膿しにくい体質の人」がいるようで、私はどうやら「化膿しにくい体質」のようである。

これは中学1年の頃の出来事である。

このころは手製のロケットを作ることが流行っていて、私も幾つか作っていたのだが、ある時とんでもない事になるのである。

マッチの頭を削ったものを、直径5ミリほどの真鍮のパイプに詰め込んでいたときの事である。

奥まで十分に詰めようと、金槌で鉄の棒を使いたたいていたのだが、何時もより強くたたき過ぎてしまったようで、突然パイプが破裂してしまうのである。

運悪く、破裂したところに左手の小指が添えられていて、小指の先が吹き飛ばされてしまったのである。

爪の3分の1は吹き飛ばされて無くなっており、左手は肩まで痺れた様に痛むのである、が・・・・。

母は破裂音に気がついていたのだが、私がそ知らぬ顔をしていたためだろう、それ以上心配するようなっそぶりは見せず、結局医者につれて行かれる事もなかったのである。

爪の先が飛ばされ、小指の先は「ザクロ」のようになってしまい、肩まで痺れていたのだが、父に知れては大変な事になるので、自分で薬をつけて治療?をし、包帯で巻いただけなのであるが・・・・。

出血はそれほどひどくもなく、傷口が化膿する事もなかったので、結局は大事に至らずに済みました。

私は体質的に丈夫に出来ているようで、仮に傷が化膿したとしても「市販の薬」で治ってしまい、傷口の再生も非常に早いのである。

これは歯医者も驚くほどで、抜歯しても「2週間後には型が取れる」のです。

治療に邪魔な歯肉を電気メスで切り取っても、翌週には歯医者が「エッ?!」と驚かれるほど再生しており、歯医者から「こんな人は初めてだよ!」と言われるのです。

最近は、インフルエンザはおろか「普通の風邪」も引かず、昨年痛めたひざも、接骨医からは「年で関節が変形しているからナーー」と言われながら、何時の間にか「完治」しているのである。

これ以外にも何度か「普通なら病院で治療するようなケガ」をしているのだが、一度として病院に行った事がないのです。

いずれも「間一髪」で大事にならずに済んだので、一歩間違うと「病院の厄介になっていた」とは思うのだが・・・・。

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