私の頭の中の鉛筆

とりあえず書いておこう

集めておこう

新聞屋は言葉で生きようとするも、言葉で死ぬ

2015-05-22 08:30:03 | 日記

>>本当に読んでいないのか、とっさに言葉を選び損ねただけなのか。参院議員や官房副長官も


務めた松井さんは著書に書いている。「政治家は、言葉で生き、言葉で滅びる」。まして


首相の言葉は重い。
>>先天性珍語症



>>売らんが為に必死のあまり大きな大きな墓穴を掘り続ける朝日土方屋



●一方で、日本政府内では同年8月9日から10日にかけて、ポツダム宣言受諾と降伏に向け

ての動きがあわただしかった。そして「実録朝日新聞」(58年発行)によると、「新聞社に

だけはこの情報が入っていた」。 

つまり朝日は、日本降伏の可能性を察知しながら報道せず、国民に”微動”だにしない”闘

魂”を求め、一億総国民が”火の玉”となって戦い続けよと社説で檄を飛ばしたのだ。   


《櫻井よしこ 「櫻井よしこの憂国」》






http://kenjya.org/sensousekinin.html

ザイニチって?

2015-05-22 08:00:32 | 日記


    おそらくこれって、今でも在日の生活保護申請で同じことが行われているんだろうな!

 
   
   昭和27年(1952年)10月15日の時事新報。まさに「大量密入国の時代」の年の記事です!



  新聞記事の詳細は「ネット転向組 」様が書き起こしてくださっています。ブログも大変な力作です。

 目からウロコの超お奨めのブログだと思います。

脅しスカしの手 アイクチと十万円

自宅まで狙われ拒みとおす

荒川区役所の小松さん

話題の女性は荒川区役所総務課勤務小松シマさん(40)ですでに同区役所所に十年間勤めている人、廿五年三月に行われた第二回の登録切替え当時は占領下でもあり朝鮮人の圧力は今度の場合よりはるかに強く、第三国人という「特権」をふりかざして高圧的に出て、この手がきかぬとみると今度は係員の買収に取りかかり、このため都内では板橋、台東、墨田、杉並などの区役所で数百名の不法入国朝鮮人にニセの登録書が出されたほか全国で約五万名に上る二重登録が行われてしまった。

このような情勢の中で荒川区役所でもこの登録事務を扱っている文書係にはなり手がなく、ついに女性ではあるが勤務成績のよい小松さんがただひとり選ばれたところ予想された通り廿五年三月から始まった登録切替えには他の区役所よりも多くの圧力が小松さんの身の上にかかってきた。

毎日自宅から役所への通勤の往復、役所の出入り口などにはいつも不正登録証を出させようとする朝鮮人が待ち受けて脅したり、スカしたりの運動を続けた。しかしそのつど小松さんは「仕事は役所内でします」と相手にしないで押し通した。

すると今度は小松さんの自宅に一夜六名の朝鮮人が押しかけ「自分たちの知っている者の中に三名の密入国朝鮮人がいるが何とか登録証を出してほしい」とはじめ新聞紙に包んだ約十万円ほどの札束を小松さんの目の前にさしだした。

小松さんは即座にこれを断わると一同はこんどは上着の内ポケットに手を突っこみアイクチか何かをつかんでいる様子を示し「明日の太陽が見られると思うと飛んだ間違いだぞ」と脅しにかかった。シマさんの家では男手は夫の鉦太郎=現荒川区会副議長=さんだけで、たまたまその夜は運悪く夫は外出で、他には八十を超えた老母独りだけだったが気丈なシマさんはガンとしてこれを拒み続けたためついに業を煮やして一同は帰ってしまった。

この荒川区には現在4300名の登録された朝鮮人がおり、中には先般のメーデー事件、岩之坂上派出所事件その他で首謀者が検挙されているほどの過激分子が集っていた所だが、この事件以来これら朝鮮人の間で「荒川区役所はヤバイ(あぶない)」という情報が流れ、密入国者は登録証の不正交付をこの区役所には頼まなくなったと言われている。

小松さんはその後この事実を秘めていたのが最近当事者の耳に入り入国管理局や荒川区長などの間で同女を表彰しようという話が進められている。

当然のこと

◇小松シマさん談 当然の事をしただけです。朝鮮の人達はよくああいう手を使うので別に仕返しが怖いなどと考えた事はありません。家には三、四回押しかけてきて登録証を作れと公然と持ちかけてくるのです。仕事の話は役所でしましょうといつも断わり続けてきました。http://kasataro.sakura.ne.jp/archives/55  

>>http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-12028741281.html?frm_src=thumb_module