>>改選数が2から1に減り、大激戦となった長野選挙区で当選確実となった民進党新人の元TBSキャスター杉尾秀哉氏(58)は、長野市内のホテルで「落下傘だとか言われてくじけそうになった。よそ者を選んでくれ感激している」と涙をこらえながら述べた。 テレビで当選確実が報じられると、開票状況を見守っていた杉尾氏の支持者らは「出た!」と声を上げ、その後姿を見せた杉尾氏と抱き合い喜びを爆発させた。
>>「長野県から日本を変える先頭に立ちたい」と1月、立候補を正式表明した。民進党現職の北沢俊美さん(78)が4期守ってきた議席を継ぐ責任も背負っての出馬は「人生最大の決断」だった。
選挙戦では、安全保障法制や憲法改正の問題を最大のテーマに据えた。「(安保関連法で)日本はいつか戦争に巻き込まれてしまう」「立憲主義を守らなければならない」と主張。安倍政権については、格差を広げた強者のための政治とけん制し、「弱い人のためにこそ政治はある」と訴えた。
元キャスターとしての知名度を生かして浸透を図った。しかし、県外(兵庫県明石市)出身を理由に、相手候補の応援に駆け付けた自民党幹部らから、信州に深い縁が無い「落下傘」と言われた。「議員になるために長野県を利用したなどと言われ、悔しくて、くじけそうになった」こともあったと明かした。
どうして長野が杉尾によって変えられなければならないのか?
>>http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2016/07/post-538b.html
熊本の大きな地震が起きて間もない5月15日に、故永田恒治弁護士のお別れの会で葬儀委員長を務めさせて頂いた。
1994年に起きた松本サリン事件で捜査当局、マスコミにより容疑者に仕立てられかけた最大の被害者のはずの河野義行さん
(奥様がサリンで死亡)の冤罪未遂事件を、孤軍奮闘の弁護活動により寸前で防いだ反骨の正義の人が故永田恒治氏であった。
何人かの弔辞の中で、当時、見込み取材により冤罪未遂記事を全国に発信した読売新聞記者永野貴行氏は、永田弁護士との出会いから自らの責任を深く痛感し記者を辞し、心機一転弁護士を目指し苦節7年を経て司法試験に合格、現在は弁護士として活動していることを永田弁護士のご霊前に語り掛けていた。
永野氏の弔辞は、永田弁護士の懐の深さと永野氏のマスコミ人としての責任の取り方、矜持の在り方を浮き彫りにして、胸に迫るものがあった。
同じジャーナリストでも永野氏とは全く異なる軌跡を辿った人がいる。