先日「臨床心理のカウンセリング研究と理論」の講義で扱った内容が、
随分と前の、未だ幼少の頃のエピソートとリンクしたので、ここに文にして残しておこうと思う。
その回の、ケース研究の題材となったカウンセリング実例は、
まとめてしまえば「幼児期の子どもの自我の芽生えと、
家庭での役割思考の確立」といえば、わかり易いかもしれない。
はじめに、簡単にどのような条件下か説明しておく。
『父 母 長女 長男 の、四人がクライアントの家族構成。
クライアントはこの内の長女であり、5歳。
幼稚園に通っている。
長男は出産されて一年に満たない。
カウンセリング目的、解決目標(主訴)は、クライアントの問題行動をやめさせること。
来歴は、幼稚園の先生からの勧め。』
以上の条件下で、面接をするか、否か
判断する面接(インテーク面接)から、
実際の面接の変遷を辿る。
長女の、幼稚園での問題行動は、「TPOを考えない排泄行為、他の園児への暴力」等であった。
ここからは大まかに説明する。
母親は生まれたばかりの長男に、つきっきりで、長女に目をくれる余裕が全く無い状況にあった。
そして、それは長女の問題行動に密接に関わっていた。
自分に興味を示さない(上の空)母親に寂しさを感じての行動。
見て欲しいという欲求からくるものであることが、
何十回に及ぶ面接の中でわかってくる。
しかし、ここで一番大切なことを言わせてもらう。
これは、心理学の応用、カウンセリング理論の授業を取り上げているのであり、
「病んでいる人がクライアント」という先入観を持ってあなた方は読み始めたかもしれない。
否、その通だろう。
しかしそうではない。
これは、幼児が「お姉ちゃん」になるために、形は違えど、誰でも通るありふれた通過儀礼(イニシエーション)のひとつに過ぎないということ。
実際に読み進めていくと「あれ?」となってくる内容になっている。
まぁ、ここでは私が簡易に答えを始めに言ってしまっているのと、
面接の録音を文におこしたものを引用して載せていないため、
分かりにくくなってしまったが。そこは、申し訳ない。
何分量がばかにならないので……(^-^)
さて、ここから何が言いたいかというと……やっと本題に入る。
ここからは、私の昔の話をしよう。時期は……クライアントとほぼ同じ時期の私の記憶まで遡る。
私はやはり、変わった子?だったらしく、少し不思議な?
「お姉ちゃん」だった。
クライアントの駄々のこね方は、言い過ぎではあるが「異例」とされる。
そういった意味で取り上げられたと推測する。
しかしながら、私もそんなこと言えるような立場ではなかった。
「お母さんに見て欲しい駄々子」から「お母さんに誉めて貰いたいからこそのお姉ちゃん」への転身も、一般的に言えば「当たり前」である。
私の場合は、保育園でも一人称を「お姉ちゃん」にするという……荒業(粗わさ?笑)に出ていた。
でもまあ、この講義を通して理解した……
というよりか納得したのが正しいけれど、そういうことだと今は思う。
私の「お姉ちゃん」の確立は、そうした行動の中で起こったといえる。
背景には、その二年後に離婚する父母という問題が、潜んでいるのも否めないが。
クライアントのように、駄々をこねてい余裕など、無かったのが実状だ。
それはそれで、問題だったのかもしれない。
皆さんは幼少の頃、どんな役割確立(獲得)を果たしましたか?
一度振り返ってみると、それもまた一興かもしれません。
まぁ、覚えている人の方が、少ないかもしれませんが……
いい記憶も、悪い記憶も、振り返られるのは、覚えている人の特権です♪
というか納得
自分の場合
独立
を、獲得しましたね
3歳くらいからの
記憶はありますが
所謂、中学校まで神童
でしたから(笑)
親はもちろん
大人や周囲に対し
過度な期待をしないことで
ストレスを軽減してましたね
トラウマは
消えませんねぇ
聴いたものを
何でもハーモニカで
奏でていた頃が
懐かしいなぁ