となりのとなかい

サッカー関係の密かな部屋にしよう!!

2004年 サッカー

2004-12-27 21:57:00 | 海外サッカー関係
間もなく終わろうとしているこの2004年は、
サッカー界において興奮に満ちた濃密な1年間だった。

2004年はわれわれに数多くの驚きと、いくつかの別れをもたらしてくれた。
ミランが快進撃の末にスクデットを獲得し、ラツィオはコッパ・イタリアを掲げた。
R・バッジョはボールから離れることを決意し、サン・シーロでのミラン戦で別れを告げた。

FCポルトが欧州のトップの座についたが、ユベントス、ミラン、レアル・マドリーなどの
まさかの敗退のおかげでもあった。
チャンピオンズリーグ(CL)の決勝戦は一方的な展開となり、
モナコはデコが率いるポルトの攻撃陣を止めることができなかった。

ユーロ2004では、スター選手をそろえたチェコが輝きを放ったが、
最後に栄冠を勝ち取ったのは意外にもギリシャ。
スターはいなかったが、チームの団結力を最大の武器にして、
おそらく今後2度と繰り返されないような成功を勝ち得た。
決勝で涙を飲んだのは、地元のファンに大きな喜びを贈りたいと願っていたポルトガルだった。

アテネ五輪では、将来有望なスター候補をそろえたアルゼンチンが大会を席巻した。
圧倒的な強さを見せた、テベスとその仲間たちを前に、対戦相手はどうすることもできなかった。

ここ数カ月のセリエAでは、ユベントスとミランがリーグを支配。
ローマは苦しんでおり、インテルもいつも通り問題を抱えている。
健闘が光ったのは、ウディネーゼ、パレルモ、カリアリ、それにゼーマン率いるレッチェである。

最後のうれしいニュースとしては、アンドリー・シェフチェンコが
デコとロナウジーニョ(FIFAワールドプレーヤー受賞)を抑えて、
バロンドール(欧州最優秀選手)を獲得したことだろう。

サッカー界では、今なお個人の才能が何らかの意味を持っているようだ。
あとは年末を迎えて、2005年がどういった年になるのかを待つだけだろう。

セリエAの冬

2004-12-27 21:44:33 | 海外サッカー関係
セリエAだけではないが、欧州各国のリーグ戦は
一休みといったところだが、そんな休暇中に
セリエAの選手達もクリスマス休暇として、
モルディブへ行っている選手も数多いらしい。

そんなモルディブにもスマトラ沖地震の余波があり
連絡の取れない選手もいるそうだ。

冬の移籍騒動だけでなく、別の問題も発生しかねない。
今回の地震の情報は、ニュースなどで見るが
地震というよりも津波による災害が多く取り上げられる。
セリエAの選手だからというわけではないが
周辺の方々の安否が心配される。

スマトラ沖地震

オランダ代表

2004-12-27 21:35:21 | 海外サッカー関係
オランダ代表の監督がファン・バステンとなり
その効果は記事として載っていた。

日本代表もジーコ監督となり
ドイツ代表は、クリンスマンと世界のあちこちで
世界的名選手が各国代表の監督 もしくは、クラブチームの監督として
指揮をふるいはじめた。

どこの国も名選手であったので監督になってもそのカリスマ性に
大いなる期待をしてしまう。

日本のプロ野球においても『長嶋茂雄』というカリスマがいる。
オリンピックでの長嶋JAPANという軍団

サッカーの日本代表もジーコJAPANという軍団として
世界の強豪に負けない試合をして欲しい。
今後、ジーコの考える日本のサッカーが定着し、ジーコが任期終了しても
継ぎの世代にも選手育成させるような仕組みとなってあって欲しい。

古い話ではあるが、ブラジル代表がイタリア代表と戦う際
イタリアでプレーしていた選手が、イタリアの攻撃力を恐れ
『守備的に行こう!!』と提案したのだが
当時のキャプテンだったソクラテスは、
『ブラジルにそんなサッカーはない』
と、攻撃的なブラジルサッカーで望んだらしい。
結果としては、ブラジルは負けてしまったが
キャプテンのソクラテスは、
『これがサッカーだ。そんなに騒ぐなよ』

日本のサッカーって、世界に対してはまだまだの感が強く
歴史的に『これだ!!』というシステムもない状態である。
今の状態で、ジーコのサッカーが定着すれば
日本のサッカーの起源となって今後に繋がってもらいたい。

オランダ代表