から抜粋し、ご紹介します。
霊的な真理でさえも、御霊の命によらず、
人間の知恵によって保持される時、その力は
奪い去られてしまうのです。
人間の内なる心に入って来る場合には、そこ
霊の命となるのです。
しかし、心の外面的な部分、つまり知能とか
理性(頭)にだけに達し、そこに留まってしまう
と、真理は、もてあそばれて、慰みものとなり
ます。
静かな信仰をもって内住の御霊をあがめる事
は、キリストだけが、全ての全てである事を
更に、明らかに認めるようになる、満ち足りた
信仰へと導くものです。
「彼は私について証します」(ヨハネ15-26)
「彼は私の栄光を現します」(ヨハネ16-14)
御霊はキリストを知る知識を命とし、まこと
とします。彼が働き、救われる力を生きた経験
として私達に与えます。
聖なる三位一体の奥義において、御子と御霊
は同位であり、同時に全く従い会う関係です。
また、御子は御父と同じ栄光を受ける事ができ
るとはいえ、
「子は父がしておられる事を見て行う以外には
、自分から何事も行う事はできません」
(ヨハネ5-19)
と言うのを不名誉だなどとは思われません。
その様に、真理の御霊も決して、ご自身から
は語りません。しかし、ただ聞いた事だけを
語ります。聖霊は、ただ神のささやきに耳を傾け、神が語る時だけ語ります。それが真理の
御霊というものです。
聖霊の働きを受ける者たちも、又、柔和な
教えられやすい状態に保つ事が必要です。
これは、心の貧しい者たち、砕かれた者たちの
特徴であって、自分の義が無価値であると同様
、知恵も霊的な真理を認識する力が無い事を
自覚し、それを得る為に、キリストを必要と
する事を悟り、御霊のみが真理の霊である事に
気付いています。
何故、多くの聖書研究や聖書知識や説教が、人
を聖潔に至らせる効果が無いのでしょう。
それは、上よりの知恵によらず、神に求めず、
神を待ち望まないからです。
心の中に真理の御霊を待ち望まずに、神のみ
ことばである聖書により、神の真理を知ろうと
する誤りを教えてくれます。
楽園の誘惑者(サタン)は今も、人々の間に働
いています。知識は依然として大きな誘惑なの
です。
人間の知恵は、真理がもたらすべき光と自由、
力と喜びを、ほとんど知らないのです。
それは神の真理を人間的な知恵と思いで受け入
れているからです。