二つからなっており、イエス様が地上におられ
た時には、旧約聖書しかありませんでした。
ユダヤの人々は、この旧約聖書を大事にし、
安息日には会堂で巻物の聖書を一人の人が朗読
し、聴衆はそれに聞き入っていました。
イエス様は、
「あなた方は聖書に永遠の生命があると思って
これを詳しく調べています。しかし、この聖書
は私について証言するものです。」(ヨハネ5-39)
と言っておられます。
「あなた方の父アブラハム(BC2100年頃の人)
は私(イエス)の日を見ることを楽しみ、これを
喜こんでいます。」 (ヨハネ8-56)
人類初のアダムの罪から、ノアの信仰、ユダヤ
民族の最初の人アブラハムへの神様からの祝福
の契約。
律法を代表するモーセ、預言者を代表するエリ
ヤは、山の上でイエス様と話をし、おそらく
十字架の事を話されたのでしょう。
新約聖書の十字架には
① 罪人の救いと、神様との交わりの回復。
② 神の愛と聖さ。謙遜と服従、忍耐。
③ 死を亡ぼし復活する。永遠の命。
④ 聖霊の私達はへの内住。
などが含まれています。
すなわち十字架がわかれば、聖書がわかる事に
つながります。
「愛は神より出たものである。愛するものは
神を知っている。愛さない者は神を知らない。
神はそのひとり子を世につかわし、彼によって
私達を生きる様にして下さった。
それによって、私達に対する神の愛が明らかに
あれたのである。」 (第一ヨハネ4-7~9)
「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かである
が、救いにあずかる私達には、神の力である」
(第一コリント1ー18)