そこから抜粋し、ご紹介します。
山形での開拓伝道時代、三人の幼い子供をかかえて、食べるものにも事欠きました。妻は貧しい家計のやりくりで大変でした。雪の中を重い自転車を押しながら、ヤクルト配達までしてくれました
。
子供たちは、母親が台所のすみでエプロンを頭からかぶって泣きながら祈っている姿を見ながら、
育ちました。でもイエス様は「子どもたちに、出してあげるものがありません」という祈りにこたえつづけてくださいました。
農家のおじいさんが、一輪車に野菜をいっぱい載せて、教会の前で、「キリストのかあちゃん、おるか」(家内のことを、このおじいちゃんはこう
呼んでいました)と言い、そろそろ食べるものがなくなりそうなころ、玄関のところに野菜を置いて
いってくれました。
私たちは、「エリヤの烏のおじいちゃん」と呼んでいました。私たちの神様は、心のパンも身体のためのパンも、祈りにこたえて与えてくださる方なのです。
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私は個人的にも、福澤満雄先生にお世話になりました。その時の先生は、毎週200名の信徒に
メッセージをとりつがれる大きな教会の牧師でした。この書物に書いてある事は、全く知りません
でした。