聖書と共に

聖霊は愛の御霊

今日も、Ⅰコリント13章です。
「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)からです。

「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は
誇らず、高ぶらず、非礼を行わず、己の利を
求めず、憤らず、人の悪を思わず、不義を喜ば
して、真理の喜ぶところを喜び、おおよそ
事忍び、おおよそ事信じ、おおよそ事望み
おおよそ事耐えるなり」(Ⅰコリント13-4~7)

Ⅰコリント13章は「愛の章」として知られ、親し
れている箇所である。

一般的に言われている「愛」と、聖書に記されて
いる「愛」とは、全く、質的に相違があるという
事を、まず知っておかなければならない。
前者は、隣人との間に保たれている、一見、麗し
いものである。

 しかし、御霊によって与えられる愛は4~7節
に記されている様な行動に現される以前、まず、
霊的に聖霊との接触によって与えられる質的に
変化によって生じるものである。

従って、愛らしい行動が出来るから愛の人ではな
くて、愛の人であるので、愛の行動が成されるの
である。

聖霊は愛の御霊であってくださる。
聖霊によって心中に注がれる天的な愛は、
恒久不変なものである。それは、対象や、場所、
又、時などによって、浮沈のないものである。

   **************
「聖霊」は「キリストの御霊」とも呼ばれます。

ガラテヤ書5ー21には御霊の果の事が書いてあり
、Ⅰコリント13章と似ています。

「御霊の果は、愛、喜悦、平和、寛容、仁愛、
 善良、忠信、柔和、節制なり」

もし、我ら御霊によりて生きなるならば、御霊に
よりて歩むべし。  (ガラテヤ5-25)

蔦田二雄先生は、別の所で、特に
節制(seif-control)の重要性について語っておら
れました。
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