「悪しき者は自分の心の願いを誇り、
むさぶる者は、主をのろい、かつ捨てる。
悪しき者は、誇り顔をして、神を求めない。
その思いに、すでに『神はいない』という。
彼の道は栄え、あなたのさばきは彼を離れ」
ここから榎本保郎先生「旧約聖書1日1章」
の抜粋からです。
私達の人生は、信仰のある人が、かならず
しも、うまくいくとは限らない。
だれでも、自分中心の生き方をしている間は
神に出会う事は出来ない。
十字架を負わなければ、十字架の主に出会う
事はできないのである。
この世は、悪しき者が案外、誇り顔をして
生きている。あの調子で行けるのなら、あの
調子に流れやすくなる。
しかし、そうした生き方には大きな欠陥が
ある。なぜなら、そこには神に出会ったと
いう喜びがないからである。
それに比べて、キリスト者の生活は、そう
誇らしいものではない。
それはキリスト者とは、赦された者だからで
ある。赦された者には、赦されたのだという
心の負い目があるからである。
けれども、それが故に、どんなにしても赦さ
れなかった罪が赦されたのだ、罪から解放さ
れたのだ、という限りない喜びが、いつも
心の中に生きている者と、されるのである。
しかし、信仰が、そこまで達する事ができな
い時には、悪しき者、いわゆる神を敬わず、
仕えていこうとしない者が、かえって栄えて
いる。
「主よ、立ち上がって下さい。」と詩人は訴
え、正しいさばきが、行われる事を確信する
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キリスト者の歩みには、神様への感謝と讚美
がある。中世のヨーロッパのグレゴリア聖歌
から現在に至るも、新しい讃美歌、聖歌が
創られている。
古代ユダヤ人は、詩編が讃美歌の代わりに
なっていた。
日本には、キリスト者の音楽家は少ないが、
ユーオーディアという団体はクリスチャン
の音楽家の集まりである。