ついての松木祐三先生の解説を、ご紹介します
イエスがカペナウムに帰られた時、ローマ軍
の、ある百人隊長の頼みとしていた僕が、病気
になって死にかかっていた。
この百人隊長はイエスの事を聞いて、ユダヤ人
の長老たちをイエスの所に遣わし、自分の僕を
助けて下さるようにと、御願いした。
ところが、イエスが、その家から遠くない程
に来られた時に、百人隊長は友達を送って
「主よ、どうぞご足労下さいませんように
私の家の下に、あなたをお入れする資格は、
私にはありません。自分でお迎えにあがる値打
ちさえ無いものです。だだお言葉を下さい。」
私も権威の下に服している者ですが、私の下に
も兵卒がいまして、一人に『行け』と言えば行
き、他の者に『来い』と言えば来ます。
イエスはこれを聞いて非常に感心され、つい
て来た群衆の方を向いて言われた。
「これ程の信仰は、イスラエルの中でも見た事
が無い」。
使いに来た者たちが家に帰ってみると、僕は
元気になっていた。
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次は私が毎日読む「静まりと黙想の朝に」より
百卒長は自分を「値打ちさえない」と言って
いる。どれ程、他の人が、その人の価値を認め
ても、主の恵みにあずかる事のできる姿勢は、
この百卒長の心を持つ事ではないだろうか。
実際「値打ちさえない」者ですという心が、
ローマの百卒長のような身分の高い者をして
地上的には、ユダヤ人の一人にすぎない主の所
に来させたのである。
この姿勢と共に、更に大切なのは、「お言葉
を下さい。」である。
神は、お言葉で「光あれ」と言い、それを創造
された。救われ、きよめられるのは、主の御言
による。
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イエス様は天地の創造者(Creater)ですので、
その力で私達の再創造(Recreat)も、お言葉で
、お出来になります。