「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。」
(第一テサロニケ5-16~18)
クリスチャンのあるべき標準として、これが提示されている。
「いつも喜んでいなさい」とは
①無理なことであろうか。
②自分はこの標準に届いているか。
③届いていないとすれば、何故なのか。
これらの事に対して、きちんと整理がされていなければならない。
環境は絶えず変わるものであるから、いつも喜ぶ事ができる為には、不動のものである、喜びの源泉を持たなければならない。それは神である。
しかし、神という事も漠然としたものではなく、
イエス・キリストのに在って知る神である。
この様に、クリスチャンの喜びは、キリストを離れては、あり得ないのである。
喜びがある時には、生活力、行動力が湧いてくる。「主を喜ぶ事は、あなた方の力です」
(ネヘミヤ8ー10)
とあるように、喜びは力である。
喜びが消される理由は何であろうか。
1、主を忘れているため
神の民となっている事が忘れられている。
2、過失、罪によるため
心の感度が鈍く、主を認めずらくなっている
3、問題に対する思い煩いのため
永遠の支配者なる神から気を奪われている。
キリストとの関係が堅くされて、いつも喜ぶ状態にあれば、祈りと感謝が、涌き出るのも当然な事である。