ACC-J [Alpine Climbing Club of Japan]

東京の山岳会『ACC-J』のページです。

読み物、エルブルース敗退~イランでマバント登山~帰国

2013年09月30日 10時58分02秒 | 海外遠征 クライミング
9月8日(日曜)、
   5時起床晴れ時々曇り、朝食6時30分出発7時ミネボの空港まで
   ひまわり畑、とうもろこし、りんご、など広大な2,3キロ~10㌔㍍にも及ぶ大農地が続く。
   空港10時04分着12時45分発の予定が13時10分発サンペテに16時10分着

   空港からタクシーで、ソウルキッチンホステルに17時30分到着、
   スーパーマーケットにて食材購入、ここのホステルは広い、清潔、キッチンが素晴らしい
シャワーもトイレも各部屋以外にもあって使い勝手がすこぶる良好。

9月9日(月曜)
   8時16分起床、観光、血の教会、ぺテルゴーフ入場券400ルーブル、観光高速船往復1000ルーブル、エルミタージュの裏の運河から出発
   帰って自炊、ビール安い、酒は近くの売り場で買えるすごく便利、目の前は運河、観光船が泊まっている、この運河を背にしてタバコを一服するのがなんとも贅沢な時間だ。

9月10日(火曜)
   観光、8時05分発、エルミタージュに行く、10時30分~15時10分、400ルーブル美術館、出発が早すぎ2時間以上待つ、この美術館には世界中の有名な絵画彫刻が集められている。
その数、は驚くばかり、ロシア帝政がいかに農奴の上に成り立ち、富を収奪していたかが伺える。
恐ろしいほどのものであった。
    朝から飲まず食わずなので、スーパーに買い出しに行きビールで酔っ払う。
この晩20時頃からキッチンでボルシチの作り方の講習があり、ビーツを担当
皮むき、細切、をやった、うまかった、決め手はサワークリームだ。

9月11日(水曜)
   今日はいよいよこの快適なホステルを出て、日本の新幹線と同じサプサン号に乗りモスクワえと向かう。
   5時タクシーにてサンペテの駅へサプサン号7時発ーモスクワレニングラート駅11時08分時間どうりに到着。
車窓の景色は43年前シベリア横断鉄道と同じで何時間何日見ていても一向に景色は変わらず単調なタイガが続く
地下鉄ビブリオ駅から徒歩MHホステルへ12時10分着
   ホテルへ着くと連絡が入っており、8月28日に大変世話になった。
津田女史が17時頃我々を訪ねてくるとの事。
姉妹でモスクワの大学に官費留学をしている
お姉さんのほうがロシア語の達人で一度は国の文部省に勤めた事があり、今回官費留学とのこと。
真に羨ましい限りである。
   レストランにて食事をしながら話をするが私はあまり話が好きではない。
もっぱら聞き役である。

9月12日(木曜)
   イラン(テヘラン)に向けて出発する日
   5時起床ホテルー地下鉄駅アルバツカヤーキエフツカヤーべラルースカヤーエアポートエキスプレスで空港へ。
7時頃到着
   19時出発の飛行機は19時30分出発ーテヘラン23時10分
ホメイニ空港に真夜中到着
タクシーにてパラストホテル着、寝る。

9月13日(金曜)
   起床8時30分このパラストホテルは一人85ドルと高級ホテル並の料金を取るが
サービス、部屋、シャワー、トイレなど中級ホテル以下
今日はほかの安いホテルを探しに行く。
イスファハンへのバス停偵察、地下鉄利用方法などの課題がある。
   調査の結果ー地下鉄は2回乗車券が4500リラ、15円弱。
   イランの地下鉄はモスクワと違いローマ字表示があるので非常に利用しやすい。
   イラン人は親切で、誰もが話しかけてくれ、道案内までしてくれる。
   マシュハドホテルは一人3万リラ、900円だ。
   イランで一番気になることは女が全員スタジオジブリで作るアニメ映画に出てくる「顔なし」なのだ。
必ず何か被っている、黒が多い。
夜見ると薄気味悪い。
これは外国から来た女にも適用され、外国人(もちろん日本人でも)の女も何らかの被り物がないと、警察に引っ張られるとの事である。
宗教上のことだとしても、迷惑な話だ、と思っていたが
女は外国人を含めて、あまり迷惑そうでもない。
どうなっているのかさっぱり意味不明であった。

   宗教上と言えば、豚肉は食ってはならないものだそうだ。
イランには豚肉は無い。レストランにも、スーパーマーケットにも無い。
不浄なのだそうだ。
ふざけた宗教だ。理由が尊いから、なら解る。
不浄と決め付けられた豚の立場はどうなるのか?
それを食っているほかの国の立場がないではないか。

   イスファハン行きのバス停には地下鉄で簡単にいける。
金曜はイスラム圏では休日なのだ。
1万リラ=30円       千リラ=3円
3万リラ=100円      5千リラ=15円
5万リラ=150円
10万リラ=300円
50万リラ=1500円
10万リラ=3000円

9月14日(土曜)
   起床7時30分8時30分朝食、美味い、食いすぎ。
博物館を探すがなかなか見つからず、やっと見つけて入るが、何のことは無いペレスポリスを持ってきただけ、すぐ出る。
公園での一服のほうがずーと充実している、バザールに行くが人が多くていやになる。
   ホテルへの帰り道チャイハーネに入る。
東京に何年か居たイラン人が教えてくれ、しかも案内までしてくれる。
水パイプから水タバコを吸いながら、紅茶を飲むのだ。
この国の紅茶はスプーンがない。
三角の小さな角砂糖を口に放り込み、紅茶で砂糖を溶かしながら飲むのだ。
紅茶を飲みながらおしゃべりをしたり、水タバコを吸ったりするのが禁酒を強力に推し進めているイランの娯楽になっているようだ。

   19時過ぎ往復タクシー(10万リラ、300円)で中華料理屋に行く。
焼きそば多すぎ、チヤーハンいまいち、ワンタン、ホーレンソウ炒め良。
21時27分ホテル着、飯代2名分11万1千リラ、3033円

9月15日(日曜)
   7時30分起床、8時朝食
今日はいよいよデマバント登山の始まり
午後14時頃ホテルに迎えが来るとの連絡を受けている。
   午前中が暇なので、宝石美術館に行ったが、午後2時開館だそうであきらめ、ホテルでのんびり過ごす。

   宿でのんびりしていると13時47分、迎えの車が来る。
ツアー会社のシェルパからの依頼で、運転手のみだ。
モーレツなスピードで走る。15時10分にはイラン山岳協会ホテル着。
   早速チャイで歓迎。
ここはデマバント山のベースキャンプになっている。
   初めてここで、シェルパ社の社長ソルタニとガイドのアリに会う。
この庭にヒマワリ、コスモス、菊、かぼちゃ、バラが咲いている、全部いっぺんに咲くのだろうか?
   18時下の街のレストランに夕食に行く。
翌日は高所キャンプまで歩く予定だ、21時寝る。

9月16日(月曜)
   5時30分起床6時朝飯7時15分車で出発第二キャンプ3000㍍8時着すぐ出発。
10時20分3600㍍、
   12時30分4200㍍山小屋(第3キャンプ)到着、
   13時15分から高度順応のため単独4500㍍まで2回往復、
   19時晩飯、ガイドが作ったスパゲッティー、これが素晴らしくまずい。
とても食えたもんじゃー無い。
   20時寝る。

9月17日(火曜)
   頂上アタックの日、4時45分起床
   5時朝食、紅茶、目玉焼き
   6時出発、9時30分5100㍍、山頂5671㍍12時20分着、
   山頂発13時
   4200㍍山小屋着15時20分、
   難なく頂上を踏んだ、ノンアルコールビールで乾杯
   イランに入った12日から、ずーッとノンアルコールビールだ。
   夕食19時20時寝る。

9月18日(水曜)
   頂上は踏んだしもう早起きはいらないのだがつい早起きしてしまう。起床6時48分朝食は8時
   9時ごろ出発
   11時14分第2キャンプ到着
登ってくるイラン人は俺が日本人とわかるとしきりに写真を取りたがる。
自分も入った写真を撮るのだがこれが何組ものパーテイーで、時間を食ってしまう。
   第二キャンプには車が待っており早速第一キャンプへと走る。
   第一キャンプであるイラン山岳協会ホテル12時04分
   早速チャイ、シャワー、荷造りを終え下の街のレストランで昼食。
またまたノンアルコールビールだ。
   14時30分発ソルタニの運転で、テヘランのホテルマシュハドに16時到着1泊30万リラ、日本円で900円だ、一人450円
   タバコは2万リラ60円フィリップモーリス白箱を買う。21時30分寝る。

9月19日(木曜)
   起床6:00、地下鉄で南バス停7:30イスファハンまでバス11万5千リラ、日本円で335円、7時間のバス旅8時20分頃出発。
   12時休憩、12時15分発、イスファハーンの北バス停に14時23分到着
   ホテルツーリストまでタクシー93円
このホテルは一部屋77万リラ一人38万5千リラ、1200円、かなり良いホテルだ。朝飯つき。
   ホテル右角のカバブー屋は野菜一杯の肉サンドを25円で売っている。大きなコッペパンを使う、これ一つは食いきれないほどの大きさだ。
イランに来て始めてうまいものを食った。

   ノンアルコールビールとサンドイッチ、で寝る。

9月20日(金曜)
   今日はイスファハーンの散策
7時30分起床7時47分発ースィーオセ橋
幅500㍍以上の大きな川だが水は無い。

   ハシュトベヘト公園は昔の城跡、素晴らしい所だ。宝石を買う。
   この公園はただ、今日は金曜、イスラムでは休日、友人家族そろって敷物を持って押しかけ、中にはガスボンベまで用意してバーべキューをしている。
町はそれほどにぎわっていないのに公園内は大賑わいである。
   エマームマスジェテロフオッラ10万リラ300円、古いイスラムの寺院、青を基調としたタイルのモザイク模様が素晴らしい。
   ホテル14時19分
   角のシシカバブー野菜サンドまた食う、美味い。
   すぐ近くにイタリアンレストラン有り。19時丁度に行く。
この時間になるとそろそろ町がにぎやかに成る。
イランは夜更かしが普通なのだ。
サラダバーが充実していて美味い。
スパゲッティーとノンアルコールビール、一人600円ぐらい腹いっぱい。10時寝る。

9月21日(土曜)
   今日は移動またまたバス旅目的地はシーラーズのペルセポリスだ。
   6時起床8時タクシー4万リラ120円にて南バスセンター、8時30分。
   シーラーズえは9時出発予定、9時36分出発。
   12時10分~12時46分休憩、シーラーズ、ガーランティーシュバス停15時40分着。
   約6時間のバス旅。
   11万リラ330円、バス停からホテルアンバリーまでタクシー11万5千リラ345円
   ホテルは一部屋45万リラ1350円、一人675円21時寝る。

9月22日(日曜)
   今日はいよいよペルスポリス見学だ。イランすなわちペルシャなのだ。
そのペルシャの首都であったのがペルスポリス。
これは不幸なことにアレキサンダーと言う奴に完全に滅ぼされてしまったと言う事だ。
ま、俺なんかが見てもちんぷんかんぷんなのは解り切っているのだが。

   6時43分起床ー7時17分発ーパルスツアー7時50分、
   だーれも居ない8時15分一人来た、今日から冬時間だと抜かしやがる
   9時07分運ちゃん、コンダクター、来る8名お客、
   10時岩を削ったがけ,
   ペルセ10時15分着、あっちこっち連れ歩かれ、石の柱やら岩を削ったものやら、で、13時40分ホテル着。
   実に暑い、カバブーサンド、とノンアルビール21時寝る。

9月23日(月曜)
   起床630分今日はテヘランに戻る、またバス旅だ。
今回は12時間のバス旅高級バスだ、450円もする20時発予定
   昼のうちは暇なので14時発バザーレバキール内チャイハーネサライメハーに行く。ゆっくりお茶を飲む。
   みやげ物を探すのだがなかなか見つからない、面倒になる。
   テヘランは交通事情が大変悪い。
横断歩道も左折車は止まらないのでなかなか日本人だけでは渡れない。
しかも公然とバイクが歩道を走る、恐ろしい国だ。
   18時30分白タクシー5万リラ(150円)にてガーランティーシュバス停に向かう
   19時着8時08分出発、座席は三列、8席の並びゆったりとしている、寝る。 
   真夜中だと言うのに、運ちゃんの眠気覚ましなのか、ラジオを大音量で流す。
ほかの客と自分の安眠のため、シャラーップと大声で怒鳴ると、ボリュームを落とし静かになった。
   イランは運ちゃんが偉いのか、だーれも文句を言わない。
   客サービスが行き届いていないのか

9月24日(火曜)
  9時10分テヘラン中央バス停に着く。
地下鉄駅まで25分ぐらい歩き、地下鉄に乗りホメイニ駅10時10分
ホテルマシュハド10時30分
シャワーを浴びて、荷造り、夕方レストランに行くが美味いものはない。
またノンアルビール、いい加減嫌気が差す。
12日イランについてから今日で13日間の禁酒、おかげで体調は良い

9月25日(水曜)
   24時ホテル発タクシー5万リラ(いわゆる白タク、ホテルオーナーの弟だと言う150円)
   ホメイニ空港1時05分着まだ相当時間が有るので、買い物(インスタントスープ)
4時40分ぴったり出発、流石にアエロフロートだ。
中国東方航空は時間に出発した事が無い。
でモスクワに9時10分着時差30分で実際には9時40分
   10時ビールを飲む568㏄酔っ払う。
14日ぶりのアルコールだ、美味い。しばらく飲んでないと、こうもアルコールが効くものなのか。
   空港内モスクワ女の売り子の冷たい視線、ニコリともしない堅い表情は43年前と少しも変わらない。
相変わらずロシアはビジネスを知らない国民総公務員
微笑みすら失ってしまったロシア共産主義の後遺症はまだ当分この国を近代国家たらしめないだろう。
   ところで中国東方航空は20時05分発予定が21時30分に遅れ、22時11分にやっと動く。
この航空会社の時間のルーズさはもう慣れっこ、安いから仕方がないで済ますしか方法がない

9月26日(木曜)
   モスクワ~上海えの飛行機最悪の中国東方航空、24時30分~1時30分食事
5時食事7時19分上海に到着、実際は11時30分
   12時30分上海で荷物噴失、テヘランのホメイニ空港で預け、上海まで直行するはずの荷物が着いてない。
中国東方航空ならこんな物だろうとあまり腹も立たない。
   上海空港内のラーメンは美味かった。
   荷物紛失の手続きなどしていると、もう余り時間がない。
福岡空港に行く成り末隊長と別れて搭乗ゲートで待っていると、もう日本人が一杯、で搭乗ゲート変更。
この航空会社はしょっちゅうゲート変更をする。
17時00分発が17時10分になり、乗り込み、17時42分やっと動きだす、このまま成田につけばめっけもの。
   荷物は見込みなし、成田着20時55分着予定が22時10分着
成田空港で荷物紛失の手続き(何が入っているのか、どんなメーカーのものか、値段はいくらなのか)
荷物紛失届けに有ること無いことを書きまくる。
   こうしているうちに税関職員がいなくなり、明かりも少しずつ消えて行く。
   中国東方航空と成田空港はどっちもいい勝負。
   国際空港で夜中閉まる空港を初めて見ることが出来ました。
世界中を見ても国際空港と名乗って、夜中閉まってしまう空港は成田だけでしょう。
世界の笑い者、と成っていることをこの国の国民は知らない。

   京成電車、国鉄も終わり、日航のお姉さんが気の毒がって、成田空港にある東横インのホテルに電話してくれて
5300円にて一泊することになりました。
日航のお姉さんと一緒に泊まりたかったです。

9月27日(金曜)
  朝8時半起床、朝飯バイキングは美味かった、
武蔵野線で家に帰ったのは14時頃でした、とっても疲れました。

全巻の終わり。