The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

誰も知らない私

2021-08-18 | 2021年
OGPイメージ
 

すれ違う心 - The Way We Were

あなたは一番の味方だった***********************亡くなったお母さまを思ってこんな風に言える?私にはそう断言することがで...

すれ違う心 - The Way We Were

 

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 おかあさん なあに
 おかあさんて いい におい
 せんたく していた においでしょ
 しゃぼんの あわ の においでしょ
 
 おかあさん なあに
 おかあさんて いい におい
 おりょうり していた においでしょ
 たまごやきの においでしょ
 
*****************************
 
 私が小学校に入る頃
 姉は高校生の合唱部に入っていて
 姉の通う女子高校の文化祭での発表会を
 母に連れられて見に行ったことを記憶しています。。
 
 その時に この童謡「おかあさん」を初めて聞いて以来
 私のお気に入りの 大好きな歌だったことを
 ときどき思い出します。。
 
 幼い私にとって姉は
 自慢と憧れの人だった...
 けれども
 10歳も歳が離れているためにか
 姉の母性がそうさせたのか
 真意を問うたことはないけれど..
 気が付くと私には
 母親が二人いるかのように
 姉が私に関して 母に進言することが
 二人の総意となり...
 私の望まない事ばかりを強要されるようになりました。。
 
 母にとって長女は
 自慢と信頼に値する優秀な娘だったのです。。
 また 姉は、
 自分より豊かな時代に育っていく妹に
 自分の時代には叶わなかったものごとを
 一つの理想として 私に願いを託すかのように...
「教育ママ」的に厳しい要求を強いることが多かったのです。。
 
 母と 姉と
 同調するものがあって...
 二人は 本当の私という個性を 受け入れようとはしなかった。。
 
 当たり前の自分...
 それだけしか望んでいなかったのに...
 否定や 訂正 否修正を受けることが多く
 本当の自分が分らなくなっていく...
 
 15歳になる頃まで
 そんな風に仕立て上げられた私が
 突然 放り出された思いというのは
 未だに拭いされない。。
 
 やがて私は
 家族の前では黙して語らず...
 内に秘めた心を 独り抱きしめながら
 20歳になって間もなく
 家を離れる決意をしたのですから..
 突然 その結果を突き付けられた家族は
 当然ながら誰も
 私の真意を理解する人はいなかった。。。
 
 それからしばらくの間は
 家族の誰にも
 自分の本当の心を話すことはできないままに
 幸い 現在は...
 理解のあるの伴侶とわが子とともに
 自分らしく 解放的に暮らしています。。
 

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