あなたは 一番の味方だった
***********************
亡くなったお母さまを思って
こんな風に言える?
私には そう断言することができません。。
***********************
愛情が無かったわけではない...
それは
大人になった現在では
客観的に理解できるところ。。
でも
思春期の頃の私は
母の言動は
私を縛るものでしかなく
成果が表れなければ
人格まで否定される...
しかも
母の基準は長女であって
特に大きな反発も見せず
模範的で優秀な印象の長女は
母にとっては自慢の対象。。
10年もの開きのある長女 と 次女(私)
その間に
ヤンチャな長男
長男はやはり
自慢の活動的な男の子というだけで
何をしても許されて応援されている...
私にはそういう印象が強かった
***********************
長女は
私が高1の春に結婚をし
長男は
私が高1の進学と同時に
大学に入り 野球部員として合宿所生活へ
その前の受験期(中3)の頃から
姉も 兄も
自分の新たな生活への期待と準備で夢中だったし..
両親も
長女の婚姻 と 長男への期待する思いが膨らんで
末娘の高校進学など...
前例通りの通過点くらいの観念だったのではないか...
よく言えば
合格間違いなし という信頼を得ていたのかもしれない
けれども
誰しもが 上の二人の将来の方が関心事で
当たり前すぎる高校受験などは
平々凡々であって..どうにでもなること
そんな程度の考えもあったようにも思う。。。
三番目 だから...
親をはじめとした周囲の大人たちは
もう 高校受験か...
大きくなったね...
歳月の経つのは早いね...
と 口々には言うけれど
私にとっての初めてのこと は
然ほどには 懸念することもなく
普通の日常の一コマでしかなかったようだ。。。
***********************
高2の夏に
私は はじめて叔母となる。。
母にとっての初孫(女の子)
以来...
私の存在は眼中になく
孫を最優先する母に翻弄される日々を迎えるようになった。。。
姪っ子=赤ちゃんはもちろん可愛かった..
けれども
生まれてから一度たりとも
センターで祝福された記憶がない私..
母との心のすれ違いは
まずます 溝が深まる一途となる。。
あなたは 一番の味方だった
私の胸の内は
この言葉が疑問形となって 繰り返し波立つ。。