The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

すれ違う心

2021-07-19 | 2021年
 
 あなたは 一番の味方だった
 
***********************
 
 亡くなったお母さまを思って
 こんな風に言える?
 
 私には そう断言することができません。。
 
***********************
 
 愛情が無かったわけではない...
 それは
 大人になった現在では
 客観的に理解できるところ。。
 
 でも
 思春期の頃の私は
 母の言動は
 私を縛るものでしかなく
 成果が表れなければ
 人格まで否定される...
 
 しかも
 母の基準は長女であって
 特に大きな反発も見せず
 模範的で優秀な印象の長女は
 母にとっては自慢の対象。。
 
 
 10年もの開きのある長女 と 次女(私)
 その間に
 ヤンチャな長男
 
 長男はやはり
 自慢の活動的な男の子というだけで
 何をしても許されて応援されている...
 私にはそういう印象が強かった
 
***********************
 
 長女は
 私が高1の春に結婚をし
 
 長男は
 私が高1の進学と同時に
 大学に入り 野球部員として合宿所生活へ
 
 その前の受験期(中3)の頃から
 姉も 兄も
 自分の新たな生活への期待と準備で夢中だったし..
 両親も
 長女の婚姻 と 長男への期待する思いが膨らんで
 末娘の高校進学など...
 前例通りの通過点くらいの観念だったのではないか...
 
 よく言えば
 合格間違いなし という信頼を得ていたのかもしれない
 けれども
 誰しもが 上の二人の将来の方が関心事で
 当たり前すぎる高校受験などは
 平々凡々であって..どうにでもなること
 そんな程度の考えもあったようにも思う。。。
 
 三番目 だから...
 親をはじめとした周囲の大人たちは
 もう 高校受験か...
 大きくなったね...
 歳月の経つのは早いね...
 と 口々には言うけれど
 私にとっての初めてのこと は
 然ほどには 懸念することもなく
 普通の日常の一コマでしかなかったようだ。。。
 
***********************
 
 高2の夏に 
 私は はじめて叔母となる。。
 母にとっての初孫(女の子)
 
 以来...
 私の存在は眼中になく
 孫を最優先する母に翻弄される日々を迎えるようになった。。。
 
 姪っ子=赤ちゃんはもちろん可愛かった..
 けれども
 生まれてから一度たりとも
 センターで祝福された記憶がない私..
 
 母との心のすれ違いは
 まずます 溝が深まる一途となる。。
 
 
 あなたは 一番の味方だった
 私の胸の内は
 この言葉が疑問形となって 繰り返し波立つ。。
 
 

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