The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

相殺(そうさい)

2012-07-09 | 2012年

 

相殺(そうさい)

   貸し借り・損得などを 互いに消しあってゼロにすること


主として 金銭関連の債権に関わる用語として使われるものですが、
人と人との感情の行き違いの場合にも
どこまで行っても平行線の一途を辿るのではなく、
自分の心に踏ん切りをつけるためにも
時として・・・・、 あえて 『相殺』 する決断も必要なのか と思います。

誰でも・・・、自分の正当性を他人に理解して受け入れてもらいたい
それが人情というものでしょう。。。。
けれども・・・、
それにばかり固執することは
自分を見失うことにも通じていく。。。。

だからこそ、
自ら距離を於いて 客観視する裁量が 人には必要なのです。。。

or ではなく・・・、
何が良くて?   何が悪かったのか?
今ある現象(=状況)は、何事も 起因が無ければ生じ得ないこと。。。。

正しい と信じて歩んで来てさえも
いつしか はじめに求めた道(=こころ)から 遠ざかっているときもある

だからこそ、
折に触れての 検証(=自省) が 
その人の その人となりの 責任になってくるのだろうと 思う。。。


何度でも 修正すればいいんだ
何度でも 失敗して
何度でも 希望を新たにして
何度でも チャレンジすればいいんだ


相殺 とは 相手との間のことばかりではない。。。
自分自身の 過去と未来を 相殺する
そうすることによって また 新たな自分が 見出せるのではないでしょうか。。。

 

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« You raise me up! | トップ | 七草粥の日 »
最新の画像もっと見る

2012年」カテゴリの最新記事

カテゴリー

プロフィール

最新コメント

  • RSS2.0