あづメッシュとともに

右往左往しながらも少しずつ落ち着いてきた娘との
日常と、息子くんの音楽をご紹介しています。

お誕生日🎉とお命日🙏

2024-07-30 17:22:57 | 記念の日
7月29日は
教えの祖の゙大事な童子さまのお誕生日🎉と、48年前に48歳で旅立った父親の祥月命日🙏でした。

1976年7月5日夜外出先で倒れた父は救急車で緊急入院、脳血栓との診断で詰まった血流を戻す治療を続けたのち、検査にて血栓ではなく脳動脈瘤破裂であったことが判明。
破裂のために脳出血を起こしていたことになります。
誤診だったわけですが、緊急手術は為されず、手術室が空く日まで繰り返し検査で疲弊したままやっと決まった手術日の゙前日に再度の破裂が起きて帰らぬ人となりました。
今なら訴訟案件だと思いますが、当時突然夫を亡くした妻と成人したばかりの娘に大学生の息子では為すすべはなく、茫然自失の内に勤務先の方々や友人たちが手を尽くしてくださって、社の救急車で自宅まで送り届けてくださったのでした。
亡くなった人は乗せないはずの救急車ですが、公共のものではなく、会社所有の車だったのでご遺体の搬送が叶ったのだと後から聞きました。

朝、行ってくるよと家を出てから24日ぶりに帰ってきた時は冷たくなっていたというのが父親の太く短い人生の最期でした。

物書きを目指して弁護士の書生をして、学徒動員で少年兵として出征して、特攻の生き残りとなって戦後を生き抜いて、船を造り、橋を造り、サッカーを愛して年中全国を出張して外国人オーナーとも親交があって英語も堪能な自慢の父でした。

48歳という働き盛りに、あまり確かではなくなった意識の中でも仕事の心配をしながら亡くなった父はある意味短くも幸せな人生であったと思っています。

本当にこんな国に成り下がってしまった今を見せずに済んで良かったです。

亡くなったのが夕刻だったので、翌日が通夜、翌々日の31日が告別式で、当時社宅団地の゙アパートに住んでいたのでその集会所をお借りして祭壇が組まれました。

暑い暑い日でしたがお焼香の列が長く長く続きました。

そんな中で息子である弟はお誕生日を迎えたのでした。

お命日の翌日がお誕生日。
毎年ちゃんと思い出す姉です。

今年もギフトとメッセージを送ったところです。

彼ともしばらく会ってないなぁ💦💦

肉親の縁に薄いのが母が頂いた人生なのかもしれません。


他を思い、他に尽くす。
介護するべき両親を早くに亡くして長く親族という単位の家族は最小ではありますが、善意の人の輪に囲まれて幸せな毎日を送れることに感謝して、利他行に励みたいと思っています。


今日はあづさまとクッキング〜
買い置きのバターがなんと消費期限切れなのを見つけたので慌ててフロランタン

出来立てを3人でバクバクと食べました。

久しぶりの小麦粉とバターはやっぱり美味しいです。



明日は米粉レシピに戻りましょう。

けんこはアーモンドプラリネが乗っていない端っこのクッキー部分だけを堪能しました☺️👍


テーブル下がすっかり定位置になってしまって、竹マットに変えたサークルには入ってくれません😓


今日もアクセスありがとうございます🙇🙏
父親の供養にお付き合いありがとうございました🙏


感謝して🙏

明日も良い日になりますように🙏


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