あげちうのブロマガ

仕事と言う名の障壁

平成は無かった訳じゃないのだ。

「有った」のが問題だ、しかも30年と言う、一つの時代として。

そこで暮らし、大人になった人々は、”それ”を何かの正義として足場としているが、実際にはその多くが「利益性を持たない」状態にある…現状がその証ではあって。分岐点は「ゼビウス」だった、ろうか。”これ”を「売れた」事にしてしまった結果、平成は人を殺してでも、”こっち”を進んでしまった。「王の権威」を超える!様な、それを目指した時代は、結論では経済的に破綻してしまった。

昭和の様々な貯蓄、その殆どは使い尽して、そして今もなお、その先には何も無い。

シニア層が、如何に無理解だ、と言っても。この「ゼビウス」に通じるコンテンツを認めない、それは実際には正しい、それでは利益が出ない、それは体感的に解ってる。解ってないのは戦後の、裕福な時代を過ごした60代以降か、金に対して、何故か無尽蔵に湧いてくる様な感覚は、現在は遅すぎる位に、「それは出来ません」の前に有る。

自分で勝手に創案し、描いた、”それは売れない”のだ。

しかし、その自由を目指し、平成の30年は費やされた。


彼らに罪が問えない、と言うのはある。誰が解っていたのか?昭和を生きた人々さえ、そんな意識は無かった、有るのは「お上には逆らうな」位だ。昭和の日本は多く、その「お上」がまともだったに過ぎない、”それ”が居なくなり、曖昧になった結果、世界は混乱の中で、ただ消耗し続ける事に。

原因も理由も解っては居る、ただ、これを補正出来ない。

平成の喪失、その多くが或いは精神的な売春性、だろうか、それによる物かもしれない。気づくと削れているのだ、対価と共に。必要な物をお金で売ってしまう結果、そこに気づくと欠落が有る、万引き程度犯罪では無い。平成で求められた事、だ。それ以外での換金は、ほぼ無かった。殆どの人々が、知らず知らずのうちに軽犯罪に加担していて、それは知らないうちに、何かの精神的な疾患でさえ有るモノとなっている。

カルトは、それを救っている?
カルト自身が、既に破綻しつつあるのに、だが。

「グラディウス」も「ゼビウス」も、結論で言えば最終的には破綻した、感じはある、どっちもダメだ。かといって、そこに有った奇妙な優秀、「多分これが一番早いと思います」は、利益性を持っていたか?と言うと無い。良い物さえ作れば認められる!と言う、「良い物」は、この時、物理では無い道理を前に、拒絶される。

お金に成れば、それはそれで良い。

しかし或いは今の現状は、その果てに有る訳だ。

誰か何とかしてくれ。

誰が、そんなところに名乗りを上げると言うのか。

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