何となくしっくりはする。
「貴方は一千万円位は欲しいと言うけど、貴方のその創作は、100万人位の人々の生活を支え得る訳?」
少なくとも古い、昭和の頃の作品は、その後の発展では「その条件を満たしていく」のだ。
「独裁創作」の利益性に関して、多少の目途?は立ってきた感覚は有る。つまり一時的だろうと「市場」を構築、その管理者に就任するなら、それは”適当”な対価は有って良い訳だ。お金が動く時、そこには些細でもプラスが発生する、それはその創作?に因る物だ、だから、それに伴う対価は得ても良い。
ただ、日本で考えると、その国家予算は100兆円である。
人口は、1億2000万人程度。
大雑把に考えても、0.0004%と言う時?一千万円と言う金額は、「3兆円程度の市場規模」を意味する、”400万人位の生活に関わる予算”である。その作品に有る理解や感覚は、東京都で言えば”都議会で多数を占める意見を形成出来る”程だ。それは貴方独自の”それ”なのか?「違う」なら、貴方にそのお金を払う訳には行かない。
それを言い出したら、独裁創作の利益性、それはほぼゼロである。
この条件を超える創作が無い、訳でもない。現在の経済学でも「お金を増やす」と言う事に明確な方法論は無い、だからこそ不景気だ、国債は増えまくる現実がある。”ここ”に、それを打開し得る物を提案できれば?それはその大きな都市一つの生活を支え得る、そこに対価は有って良い。
リストラしか有りません。
残念ながら、現在の結論はまだ、ここではあるが。
”雅”市場は、一応はそれに対して「それは違う」それを言ってはいる。「利益性のある創作」を創り担保とする事で、その分お金は増える。その増えた分により、経済は活性化し得る、この時、リストラなどの必要は無い。事実であれば画期的だ、事実なら、世界を支え得る、世界を救える様な”何か”でさえ有る。
詐欺師は甘美な事を言う物ではある。
「大衆」と言う神の判断は果たしてあの時、何を考えたのか。ともかく独裁創作、それは決定的に売れなかった現実はある。0.01%以下の可能性に挑むよりは、普通は、確実を目指した方が良い、それは正論として。
とは言え、「その先を目指す」と言うそれは、果たして。