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あげちうのブロマガ

鏡の先に映る人物への評

倫理的には、実際は少し難しい状況はある。「諦める」と言う言葉にも、是非はあって。

愛、という話をし始める時、大多数が納得する先で、「排除される少数派」が出るのだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

その子に問題がある訳ではない、だろうに?

 

その時、その作品は今?価値を持てない。

昔は多分、そんな事に悩む必要は無かった。前に出る作品の多くは、「どっち?」の選択を始めて片方は捨てられる、様な感じでオチにする、のがせいぜいで、大概片方は、ある意味で悪者にされてしまったしそれが正しい、事に成っていた。今も、昔ながらの方法論という感覚?ちょうどか、ボイジャー1号が宇宙に旅立った頃、世界は何かの断言に支配されていた、それは今もかも知れない。

民主主義が最善である、未来とは、この先にこそある。

それはでも、数パーセントかに達する少数派を、実は切り捨てる選択だった、という現実は重い。

解決策は、今考えると?簡単ではある、プライバシーには立ち入らない、”それだけ”だ。しかし、当時の増大する「理想への追求」そう言う物、だろうか。それは「理想に合致していない」事態を前に、個人のプライバシーを無視して理由を探り始め…その先で破綻を起こしていた。一度一夫多妻を認めたら、世界は狂乱と退廃が支配する堕落した悪夢へと堕ちてしまう!かの様な、それは今も何かの強迫観念としては残る。しかし、それは「後進国」と言う蔑称への疑問を切り落とし、何かの奴隷扱いを容認する、様な。そんな傾向へと通じては行くのだった。

ともかく一夫多妻が「会社」と言う組織が巨大化していく先で歪む、それをある程度は解決する一策だった、それは実は現実としてある。王の視野を広げる時、子より友より、なにより「妻」ではある。妻が一人しか居ない、という事態では、見えている範囲もその妻に集中する。それ以外にも世界はあるのに、王の視野では”そこ”は暗黒に沈んでいるのだ。しかし或いは?もう一人妻が居る時、その暗黒には光が当たるのではあり。

理想と現実、選ぶべきはどっち?それは今も、答えの出ない混沌としては残る。

「一夫一婦の理想論だけでは、巨大組織は運営できない」と、言う訳でもないのが現在の理解、ではある。一夫一婦を維持したまま事態を打開する術はある。ただ、その場合は「王」社長、そこに投影されていたモノ、それは組織の為には捨てる?事には成る。組織が持ちうる権力?の半分を、自身と同等の存在に渡してしまうのだ。必要と不要の表裏を両者で形成する事で両者は「切り捨て」を防ぐ事が出来、その結果、組織の拡大は可能になる。ただこの時、王の絶対権力、そう言うのは無くなる訳だ。その組織から「神」が消える時、貴方の理想を具現化”してくれる”存在は、居なくなる。

法に支配された表裏の狭間を、自身の選択として、上手く立ち回らねば成らない。そして何処まで努力しようが、その環境で貴方は神に成る事は出来ない。

一つを手にすれば、一つは失われる、それは世界の道理として重い。「全て」と言う訳には行かない、人はその中で、自身の目指す道の為に、その一つを捨てていく事には成る。そう言う現実の中に、自分らは生きていて、その中で暮らす限りは、その制約を無視して物事は先に進まない。良くも悪くもそう言うのが現実で、そしてまた、”それ”を超えよう、そう言う衝動も魔物か悪夢の様にそこには残る。

”諦める”しかない。

自分はこの世界に居て、その中でそれを理解した上で、まだここに居るのだ。

探している現実それは、目の前にあるのだけどそれは。鏡を見る様に微妙、ではあるのだった。

それでも、自分らはここに居るのだ。

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