イミフだ。
ともかく「シャドウライズ」として企画した物、それは何処かに有るのか。
そんな、脳内で「把握」しているくらいに大規模に展開してたら、どっか何かで情報は伝わってこないか。
…しかし、シャンシャンで湧き上がる時、和歌山にはパンダが今も5頭は居るのである。
マスコミの情報とは意外と、いやかなり、偏向しているのだ。隠された情報の規模とは。
「ストリード」をGoogleで検索しても今、”出てこない”のである。
”それ”は大規模に隠蔽されているのだ。
しかしともかく、意外と「白と黒」は表裏である事に、不意に思い至る。
このゲーム機?にある最大の懸念それは、
「白か黒、どっちかに傾いたら戦争が終わってしまうのでは」
しかし。
この辺、企画時からアバウトだが。
違う視点では、「全てが統一した思想の元で戦争したらどうなるの?」ではあり。
思想が統一されて居たら戦争は起きないか?と言うとそんな事は無いのだ。
右に行きたい、いや我々は左に行きたい。
それを解決する手段とは実は、「戦争しかない」のである。
勿論、物理的な”それ”はよろしくないだから。
「紛争解決機構」ゲームの中で人々は、延々と戦い続けているのだ。
勝利と敗北は繋がっている。
敗北の意味とは?失敗は成功の元。
ユダヤ系はその「敗北の意味」を探し続けてる…、と言う思想かもしんない。
現状、「大賀さん」がある、「大衆は神である」その思想から創られた紛争解決機構。
”これ”は現状、良くも悪くも最強ではある。それは全てを内包する唯一神に他ならず。
でも”それ”が両者としてぶつかる時、両方とも同じ思想?で勝利と敗北を享受する事に。
勝者はその時、敗者でもあるのだ。同胞を倒す、敗北を追及するそこにも、正義は有る。
今までの感覚?だと恐らくは違う。
唯一神には勝てない。それを掲げる我々こそが善である。
ただ、唯一神だ、本当に。仏教もヒンズー教も、そもそもイスラム教とユダヤ教とキリスト教
は、実際には同一の神を信仰しているのだ。人々は、その真実なる唯一神の元で、右か左か?を論じているに過ぎない。それはその、「シャドウライズ」の戦場に実際は等しい訳だ。
「シャドウライズ」は、問題なく続いている。
どっち?に傾く事もない、それが現実ではある。
勝者と敗者は表裏で有り、共に「神様」その意向でしかない。
それは両者とも等価だ。今日の勝者は明日の敗者かもしれず。
どっちかに傾くそれは、無い。神の前にそれは、平等である。
あ、もちろん「神に逆らう愚か者」は、別な?
まあ図らずも?「ガンダム」の世界を表に出しにくい理由が判明はする。
「どっちが勝ったの?」どの命題に対してその戦争は起きたの?解らん。
だから、紛争は解決しても、「どれ?」に関しては…イマイチ混沌。
その戦場に関わった人が、不意に納得する、だけで。
その戦場がその命題に対する二択の結果、と言う訳ではもちろん、ない。
ガンプラにとっては理論と言うか…”それ”を支える物ではある。
最も、「やらなくても解る」様な事を、ゲームの世界は”あえてやっている”のだ。
思想的に納得も理解も出来ない、そう言う部分はユダヤ教の何かの様に等しく残りはする。
とは言え、等価な違う何かとして、それもまた存在は続くのだろうか。
それでもその結果として「出来る」事が解れば、現実へも反映はするだろう。
正義はどっちにあるか?神に逆らうと、どうなるのか。
「現実を超えられない!」
その感覚の結末とは。