古い感覚ではある。
映画館の、チェーン店?がある、とする。映画関連の商品も一緒に販売する、という形で、しかも本部は「そこで配給する映画も作っている」そんな会社だった。客が喜ぶモノを自身らで創り、提供する、というその創始の絵には、今も何かの理想はある。
現状、経営難で有る。外部の会社に支援を求めねば維持出来ない状況。何とか、自立し得る所まで立て直したいがしかし。映画という文化自体の衰退もあり、そして、「映画館で見る」という形態への疑問もあり、状況は芳しい成果を出せないまま、じりじりと悪化を続けている。
良くも悪くも、経営者には一人娘が居て?状況では彼女が会社を継がねばならない事態で、しかし。彼女自身も以前は、或いは今も意欲はある、盛り上げんとする事は何度か試したが、解った事は「自分には才能が無い」その一点でしか無かった。それを言い出せば、社員、或いは外部のスタッフにしろ同じで、自社制作の映画でもヒットは中々出なかった、唯一のヒット作?は”外部”の企画による物で、それは今は独立し、”ネットを中心に”結構流行っている、という話。ひと悶着は有った、らしい、誰のおかげか?だ。現場主義だったそれは、その時、企画を否定する方向に入った。
という事態に対して、不意に接点がある。「昔よく映画を見に来ていた」と言う青年が、今はテレビで活躍する様な俳優に成っていた。映画の宣伝に来た事から少し交流があり、二人はそれから、知人、友人からそれ以上に親密には成っていく…が。結果、そこには重い不安が発生する。
会社は護らねばならないのだ。
この青年は、会社を守れるのか?だ。
悪夢がチラつき始めて、動きが鈍くなっていく。求めているのは「今の形態のまま」その理想のまま、維持する事だ、が。自分も含めて上手く行ってないからこその現状である、それを彼に求められるモノか?その上で、彼の目的とは何か。しかし外部の、親戚に近い血族による会社の支援も、何時まで求められるか解らない。話を聞けば聞くほど不安にはなる、俳優と言っても、監督に要求された通りの事、以上は出来ない。自分は今も、それほどの役を貰った事もない。という事はやっぱり、何か誰かの目的で、自分に近づいたのか?会社をどうするつもりなのか。
…この先に有るのは、何だろう?
こうやって「解らない事を神に聞く」と言う方法に、是非はどうも感じるのだが。この場合、自分の立ち位置は「以前に成功した作品の、外部の企画者」であり、自分も今の所、「独裁創作はお金に成らない」と言うほぼ断言を前に、”この”形態に未来を感じない、部分も有る。自身の「ストリードの連携」それは必ず、外部の企画書を必要とする。その辺も含め、この場合の女性には相性が悪い、趣味は合わないのだ。
単純さと、面倒さの混在したそれは、果たして。
方法論はストリードの連携だけでは無い、という一つの実証はある。
それは、この事態に何かの光明となるのか否か。
現実は、漫画の様にはいかないのだけども。