状況は、少し変化しつつも有る?
結局、経済を上向かせる!と言う意味では単純に、「原価50円の商品を100円で売る」事が出来れば良い、訳だが。その「利益としての50円」それは何処から出てきた?と言う点に、何を言うか?と言う事ではあって。
或いはこれは、テレビ局が一番言われたくない事、かもしれない。
広告料、”それ”は一体何なのか?ではある。
金本位制が、十分な利益性を見せる事が物理的に出来ない現状はある、金の総量、「価値」は一定なのに、人は増えていくから、だ。余裕がある頃は良かったが、金0.001gで1ドル、という規定をしてしまった時から、実際には見えていた破綻かもしれない。
キリスト教圏では、「ノアの箱舟」その辺の話はリアリティではある。
最後は、養い切れない人々を切り捨てて、新天地に逃げるしかない訳だが。
今更ではある?ともかく現状、金は人類を養い続ける上では不足有る物に成ってしまった。これに経済も依存して行く訳には行かない。しかし、金の様に明確に、0.001gで1ドル、という確定が出来つつ、「人間が生成し得る物」と言うのは物理的には今の所は、存在しない。その時、経済は本質的な”理由”を失う訳だが。
それでも現状でもまだ破綻していないのは、「違う感覚」が、後ろで支えているから?だ。既に金本位制はほぼ形骸化しており、現実的にはもう、違う感覚、それがその柱に成ってしまっている、と考えているのは、まあ自分だけ?かもしれない。
ともかく世界は現状を維持する為に、或いはかなりの”無理”をしている、気はする。
「価値とは何か?」
それに対して、納得し得る返答、それを曖昧にしたまま。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」でも感じた事、だが。まずあの世界に経済的な発展を齎す物、それは「無い」。クーデリアが如何に頑張ろうとも、”そこ”に価値は発生しない訳だ、意識の問題として。「MSは?」その理解がまず、この世界には?或いは制作側にか、存在しない。現場はその中で、何かの結果を出さねばならない…そんな苦境の中に、今も有る。
”それ”は、シンプルに悪夢だ。「MSを大量に創る事で世界経済は活性化する」のだ、ガンダムの世界では。もちろん”それ”に意味が無ければ成らない、”必要だから”それはそこに有る、故に。その為に、この世界は戦乱の火種をむしろ、歓迎する。戦争を求め、それを発起する存在に対して協力を惜しまない、もちろん最後は「責任を取って」破綻して貰うにしろ、だ。そうしてこの世界はMSを量産し、膨らんでいく…戦乱こそが、この世界を発展させる礎であって。
これはマンガだ。
その理解を、現場は或いは、持っていない?
「ここは仮想現実である」現実の戦争をここに追い出し、”ここ”で戦争をし、決着する為の領域である、と言う理解は、或いはコンピューターゲームの存在故、だったのだろうか。そう言う話は、この世界を或いは信仰する人々には重い疑念と否定と共にある、のだろうか。
これは現実だ。
物理的に無理だ、という理解を、この意識に求める事は難しい。アイドルのコンサートに熱狂する、”それ”を求める理解と同じで、それは幻だとしても、何だかそう思えなくなる境界線が有り、そして、現場の多くは、その先へ踏み込んでいる。
様な感じ。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」その問題でもある、クスィーガンダムはペーネロペーに勝てない、という感覚は”不動”だ。「売れる様に」考える結果、その結末こそ最善、という理解と感覚、それは。平成でも大きく否定されてしまった、様な気はする。
”あの”グラディウスが、高校生が学校祭で発表したゲームより低レベルだと?
この結果は、実際にはそう言う意味に成っていた、のだった。
「大賀さん」紛争解決機構、その結果は果たして、そして。
それは、何かの壁となるだろうか。