ちょっと、怖い遊びを考えてしまう。
GPS装備の端末を持った子供らが、一か所の広場に集合する。
それぞれをデータリンクしつつ、まずは「その場のフィールド」で”歩いて良い場所”を子供ら自身により、ルンバの如く走査する。
その情報は「遊び場」として登録され、その場が、ある意味での「戦場」に成る。
※ただし?歩く速度以上での移動は、エラーとなる。
後は、その「遊び場」で、様々な戦略やら宝探しやら、の集団でのゲームを行う。
「貴方の周囲から見えない悪魔が近づいてくる!」それは、端末を向けている方向からの音だけでしか判断できないのだ、とかなんとか。
歩きスマホは危険だと言うのに。
スマホを容認する、と言うのはつまり、自分としては「こういう意味である」と言う事に、ふと期待と不安感の入り混じる、変な気分には成る。可能性は大分感じる。只でさえ外で遊ぶ機会が減っている子供らだ。理由は様々だが、ともかく「遊ぶ場所が無い」のは一種、致命的ではある。「何処?」安全な場所は?それを、子供ら自身に実地で集めてもらう、と言うのは、効率の点では一理ある。
「登録された遊び場」なら、ある意味で監視下であり、そして安全もキープされているのだ。歩く速度に限定する事で、致命的な問題も回避し得るのでは。様々な場所に有る「遊び場」へ出向くのも、面白いのでは。
そうだろうか。
転ぶだけで死ぬ場合も、結構有るのだが。
禁止ばかりしていては窮屈なだけ、ではあり。死なない程度の危険はむしろスリル、と言う言い方もある。子供らが実地でその場を知っていく、と言うのは悪いイメージも無く。或いは最初からメーカーなどが実地で設定してしまえば、と言うのも一案だ。Wifiを普及させる上でも、或いは、何かの理由には成る、かもしれない。
いかん、ごちゃごちゃしてる。
ちょっと、「世界」が混在している印象は、やっぱりある。自分の想定してる「かむろぎ」そう言うのが”有る”領域では、低速ながらのWifiが無料で展開しているのだ、それはPHSの如く、通信インフラの一種でさえあって。その中なら、この位置情報ゲームは情報負荷を掛けずに出来る、かもしれないしかし。
今の表側の世界では、コンビニ位しか、Wifiのポイントも無い訳で。
もちろん自分は、「かむろぎ」それを探してるし、言う事を信じるなら?今のスマートフォンは、”そこ”からネタを盗んで発展させた物、だ。色々な事情で、平成初期に分断され、隠蔽された環境がある。エヴァンゲリオンの如く、それと使徒が接触したら、世界は滅んでしまう訳だ、既存の世界は終わる。
そんな、「中華思想の皇帝」それが残した呪いの影は、今もなお、健在なりか。
未来と、現実と。今「それは出来ない」と言う事を、インターネットはかなり強引に問題を起こしつつも具現化してきた経緯はあり、スマートフォンはその象徴の様な物ではある。「かむろぎ」それは、或いは昭和天皇の残した後悔と、そしてその現実だろうか。「太平洋戦争で、日本は戦争を選択せず、引き籠るべきだった」それを実際に実行していて、そして「それは正しい」と言う実証さえしているとしても、それは世界から隔離された環境でしかないのだ。
そっちの方がよっぽと発展しているとしても、だ。
多数決、それは無視出来ないのだけど。
と言う訳で3回目