DOS/Vの基本理念が、消えようとしてるんだろうか。
理屈だけなら、シングルコアの方が変幻自在なのだが。
シングルコアのままでは、正直物理的な限界には有る。
マルチコアの問題は?「個々の能力は一定」と言う事だ。要するに時速100キロ出せる車が10台あっても、時速1000キロ(およそマッハ3)は出せない、訳だ。この時、時速1000kmが必要な処理は「出来ない」訳で。この例え話には疑問はもちろんある、車がマッハ3で動いても意味がない、何を運ぶんだ?運んでる荷物は大丈夫なのか?加速までの時間は?この辺、実際には”現実との合致”が有る。マッハ3とか4とか出る車は今の所は創れないし、必要が無い。必要なのは、時速80km位で、最大1t前後を運べる軽トラが100台、である。「処理する」事を考えた時、その方がよっぽど効率的な訳で。
しかし。
「並列処理」と言うのがある、マルチタスク。一つのCPUが、複数のCPUに分身する事で複数のアプリを同時に動かす事が出来る機構。この時、「分身する」方法論は全く「忍者のアレ」と同じだ、単に”高速で適当に止まってる”だけ。だから、分身数が増えれば増える程、個々の処理能力は下がっていく、が。逆に言えば分身数が少なければ?CPU能力をフルに使える、訳だ。
要するにマルチタスクなら、100分身では個々に1kg程度しか運べないが、5分身なら個々は20kgとか運べる訳で。その方が変幻自在で良くないか?無駄がない。もし5分身で固定されていたら、一つのコアだけでは40kgは運べない、その時運ぶ方法が無くなるのだ。それに、千コアを合体させて、100コアと900コアで2コア、と言う構成も可能になる。あらゆる局面に対応する事を考えた時、こういう構造の方が効率的では、これはシングルコアでしか出来ないのだ。
ゲームとか私的に?創ってた頃は、「効率化」と言うのは良く考える。どれだけ無駄なく処理するか?ゲーム中は千コア欲しいが、”イベントシーンでは1コアの方が良い”のだ(画像処理とか重いから)。マルチコアではその時、どう処理するのだ?
…まあ、ぶっちゃけこの辺は、現場レベルで打開案は出ている訳だが。画像処理に関しては「小さなブロック単位で処理させればいい」訳だ。千コア常時動く状態で処理を考えた方が、実は自由度があったりする。データサーチやソートに関しても、データは分散して対応処理した方が勿論、劇的に速い(1コアが一万件ずつサーチすれば、1000コア有るなら1000万件を一万件レベルの速度でサーチ出来る訳で)。処理だけを考えるとシングルコアである理由がもう、殆ど無い。
しかし。
PC/ATの構造は、実際には魔術的な意味合いを持っている。「共産主義は、機械としては使える」実はそう言う絵、ではある。共産主義、或いは独裁性?それを否定し切れなかった頃、抑止しつつ利用する時、”こういう絵”が求められたのかもしれない。中央に居る「一つのCPU」と言う独裁者が”全て”を網羅する。全てのハードを視察し、その状態を常に把握してその管理下に置くのである。それにより、高度な処理を確実に行う事が出来るのだ。
だが実際問題、”これ”がDOS/Vのボトルネックでもあって。
コアがマルチ化していく時、この理念が?崩れていく訳だ。中央の独裁者は、一人では無い。また、一つのCPUが全てのハードを巡回する必要は無い(巡回する時の応答時間が無駄になる、報告書だけをポストして貰えば開いた時間に見れば良い)。速度的なボトルネックを突破する時、マルチコアにこそ活路はあるのだが。だが要するに、これが否定されてしまうと、「共産主義は機械としても使えない」そう言う意味になる、独裁性の完全否定、でありそして。「DOS/Vのハードが主張する事は間違ってる」事にも成る、訳だ。
…これは、DOS/Vと言うハード的価値の、必要性の下落を招くのでは。
現状、構想的には「WiiU-Gbox」と言うのがある。小さなDOS/V(WiiUのコアユニット)を複数搭載し、分散処理を行う事でより高度な処理をさせよう、そう言う考え。この時、個々のWiiUユニットはDOS/Vの構造を残す、のだが。これは意味があるのだろうか。10コア位のCPUと膨大なメモリを一つにまとめてリニアに駆動できるようにした方が良いのでは?
残れば良いのか、「CPUは一つで良い!」のか?その狭間は何処に有るのだろう。ともかく独裁性の完全否定は、意外と面倒な問題を見せる。小さな会社の社長が、自社の作業内容や進捗を把握してない?と言うのは結構、問題では。DOS/Vの構造は残しつつ、速度的な打開を図るべきではあるまいか?その時、意外と道は、”こっち”なのでは。
今度、Xboxでは「水冷機構を搭載した」ゲーム機が出る、らしい。ゲーム機にそこまでの強引なパワーは必要なのだろうか。そんな事しなくても、ゲームとしての4K以上は違うベクトルがあるのではあるまいか。
共謀罪、テロ等準備罪の制定は、果たして何かのブレーキになるのだろうか。