状況は、変化はしている。
主観では、「勝たねばならない!」に成っていくのは、それでも多少は自身の理想?それに近い光景とは言える。
改めて、「虹色宝珠」の入選により、「王の権威」は正式に自身へ移動したのだ、と言う感覚はする。”それ”を否定する時、果たしてゲーム業界の王、最上位とは?それは、「任天堂」だ。想像以上に、実は任天堂のクオリティコントロール、それは世間に、大きな影響を見せていたのかもしれない。
その体制に、うっかりしたら”国家が”依存していたのだ。
最近は特に強く感じた「現場の自己裁量は何処まで?」ともかく要望の上げ方とは?そう言うレスポンスの悪さ、というか混沌、それが”ここ”に有った?そんな雰囲気も少しする。提案はした、「クラウンズ」と言う部署があり、企画は定型にして”ここ”に上げてくれれば判断し回答はする。「創って良いですよ」となれば、後は現場の裁量である、その企画書の枠内で、だ。
平成が始まる時、自分がそのまま”ここ”に収まる様な形になったらどうなっただろう?それは、解らない、当時はストリードも無い。幸運か不運か、それは過ぎた後でも不明瞭だ。ともかく現状は、この領域は多少変化しつつある、と同時に、或いは国家への”それ”もまた、変化しようとしている、のかもしれない。今までやらなかったのは、何かの思惑が有った訳じゃ無く「解らない」能力値限界を超えた話だった…それが結論、だろうか。
話しているのは、そのゲームの是非の筈なのだ。
それが何故、世界の未来を左右せねばならないのか。
ともかくと言うか、現状、「ラビリンスボーダー」この企画は少し特殊な立ち位置に成りつつある、このゲームデザインに、国家的な?「要望」要求、期待、未来、そう言うのが乗りつつはある。このゲームが売れる?時、その領域の経済は活性化し、雇用が創出されるのだ。他は概念でしかない、ゲームと言う”システムとして”明確にそれを形成しているのは、或いは今も”これだけ”ではある。
これは果たして令和のガンダムに成り得るか?それは、今後次第だろうか。
それは、無人島に漂着した、そこから啓示を受けての脱出艇、そんな絵だった筈なのだが。
本人らにはイカダだが、実際には、ノアの箱舟だったろうか。
そこに、載っていく物がある。