意識の偏りは重い。
人力発電機が有る時、如何なる元犯罪者であろうと、そこでお金を稼ぐ事は可能であり、生活を続ける事は出来る、が。その問題となる「意識」だ。それは売春婦を強姦し死に追いやった結果として会社を乗っ取られ、更に数十億円の負債と共に会社を辞めさせられた、が。
世界の全てが”この”仕事に従事したらどうなるんだ?
飯屋もテレビもゲームも存在しなくなるが。
「他人が居る」と言う事態を意識するなら有り得ない、が。この意識には「無い」訳で。現状は帰結として自分が「ゴミ」と評し、それを殺してなんで罪になるんだ?と言う「理解」に至った結果として、自身がその「ゴミ」と同じ立場に陥り、その中で、ある種の矛盾と共にはある。
自身はゴミを殺したが、今の環境は殺さないのだ。
自身はゴミを殺して糧を得るのに、今の環境はただ「貴方は最下位です」と言うだけだ。
自身の理解が「正しい」なら、この意識はここで死ぬべきなのだけど。
それは死なずに、まだ有り続けている。
「テレビ」その環境では、「大衆」と言う神が見えなくなる。その環境故の混沌かもしれない。自分の上位が居なくなって、自己を律する事が出来ない。善悪も消えて、しかし不意に、その「ゴミ」の位置に居る。外部的には「発狂している」と評するべきかもしれないが。
殺された売春婦の憤り的には、一つの帰結ではあるのだけど。自身をゴミとして殺した存在が、自身と同じ「ゴミ」に成って、社会のお情けで生かされている。既存の社会は本来はこの立場を「殺さない」のだ、なのに。誰が悪いのか?殺したのは、誰か。
まだ解らない。
誰かが、殺しにくるかもしれない。
許し難きクズを、自分がしたように。
その時、自身の正義は証明される。
まだ、解らない。