あげちうのブロマガ

俳句と言う暴力の是非

俳句も、名句は大きい訳で。

やはり、この程度でも問題は起こると言えば、起こるのかもしれない。


ストリード
タイトル「岩の前」
プロデューサーシートに「エロックス2」で。
ディレクターノート

ちょっとした小話。

「岩の前」
旅人が岩ノ前で悪態を付いている
あらんかぎりの呪詛と罵詈雑言を浴びせ
最後は汚物で汚そうとした時
落石が起こった
旅人はそれに当たって死んでしまった
つい考える
毎度毎度、こんな結末に至る自分に
何かの問題は無いのか

end



「文学」と言うのは実は、帰結で「それは無い」と言うのを示す、訳だが。
通常はホラーとかの「なんで今、シャワー浴びるんですかね?」と言う簡単な物を示す、訳だが、これは追及すると、意外と深い。
その領域に「要らない」それは何か?と言うのを、そこに描いて行く訳だが。
ちょっと最近の感覚だ、「大賀さん」それは通路を塞ぐ岩の様なモノ、だが。
それに対して呪詛をするモノ、そう言うのがまだ厚い気はして、ふと。
「大賀さん」にしろ、存在する役目を果たさんとしているだけだが、それに対して。
帰結は道理だろう、ただ、後を絶たないのも或いは現実かもしれない。
第三者視点で見れば、「それは単に道理だ」が。そこに至る人々はどうか。


ともかくもちろん、神様は必ず救ってくれる!訳ではもちろん、無い。
この岩ノ前みたいな物だ。単に「この先には進めません」それを無言で示すだけ。
それでも主張、「そんなバカは死んでも文句は言えない」時、”それ”はでも、「大賀さん」に従う人々を邪魔する物は何も無い!訳ではもちろん、無い。

現状まだ、カウンタ制御も利いてるし、自分はストリードの連携、”それ”による金銭的な利益、それを得た事も無い。
ともかく言える事は、”この程度”でも、ストリードの枠が無ければ、無茶な挑戦をさせかねない危険性がある、訳だ。

結果的に、その方が良い場合も、無い事も無いが、自分はその都度、大きな「やっぱり」に屈してきた経緯はある。

”面白い”小話だ。

ソレは、確かかもしれない。
なら、お金くれます?

返事が無い、まるで屍の様だ。
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