あげちうのブロマガ

とある不安と疑念と憤り

状況に不安は募る。

地雷、という観点では、現状の民主主義、その比では無いが。
それでも、「そこは確約できない」と言う、その意味は重い。

「欠落が発生してる人々」が、実は”かなり多い”訳だ。その可能性が重い。


自身がその時、優位である、と言う自覚があって。
その上で、弱者、ペットにさえ見える、そんな領域が有り。

それは、そんな或いは、奇妙に魅惑的な光景だ。
そして魅惑的でさえある、そんな行為への誘惑だ。

その後、そこに踏み込んだら、こんな顔に成ってしまった訳で。


「牢陽帝」の存在と、イメージと、結果、それへの態度として…そこに入って、そして動画のオチに成った時点で?その人は”才能を”失ってしまう事には成る。その後は、欠落したモノを埋める事が出来ず、「役立たず」それを自覚しながら暮らさねばならない。「才能を失った」時点で、それは利益性、そこへのルートを完全にか失う、何をやっても”失敗”する。妨害は奇妙な程に無い、そこへ至る道は幸運でさえ有る程に真っすぐだが、そこに到達しても、それは成果を上げる事が出来ないまま、ただ失意と無能の自覚、それだけを蓄積して、終わる。

”そんな”地雷を、牢陽帝は、自覚無く、あちこちにばら撒いていた、事には成る。
鬼滅のサイコロステーキ先輩、それは結構、良くある話として、ある訳だ。

”それ”は結局、牢陽帝が「いいね」した動画に対してケチを付ける、それでも発生する、訳で。
その当時はそれは、「昭和天皇」その意向だったが、今は単なる民間人の”それ”であって。

大義名分は失った状態で、それは無自覚にか、過失を重ね、「才能」利益性、それを喪失する事には成る訳だ。

「それはおかしい」私は正しい、その憤慨は、権力を駆使しての「正しい」数値、それを創ろうとする。
そして、自身を低評価にする、それに対しての、強い敵意を滾らせる。売れる作品へ向く攻撃性は、やがては社会全体を包み込んでいって。

現在のカウンタ制御、それは、”そう言う意向”を強く背にして有る訳だ。
そして、それはアメリカ全土、いや世界を包み込んで、「牢陽帝」その意向に対抗する。

「それは単に自業自得だ」

を、”この”存在にも向けるべきか?


このヒーローに対してならともかく。


アメリカの大統領選挙、”その”無様さ、と言って良い、民主主義としては有りえない光景、それに憤慨し断罪せんとする時、その中に、上の一人も居る訳だ。その中は、±で0なのかもしれない、殺したいほど許し難い奴もいれば、そう言う存在も居て。

今回のそれは、そんな象徴としてはある。

世界は今、足場を失ってしまった、その位の危機感?は有る訳だ、アメリカは、或いは民主主義はもう、当てに成らないのだ。

…では、我々は何処に行けば?
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