流石に問題が出てきた。
朗読動画、それは容量はともかく、非常に良い感じ。流石に、「紲星あかり」と言う”声優”を使う結果で、「一人での作品では無い」また外部への利益分配にも問題が無い、と言う状況こそあっても。
現状のシステムでは、自身への換金ルートが、切れてる。
ここでこれ以上続けても、ちょっと、良くない感じ。
一応、多少の成果は有った、気はする。
「価値観のスライド」は発生した、そんな。
女だから、男だから、それはこの時、非常に重大な価値観だったのだが、”それ”が今、関係なくなった。
何でこんな事に?
それは貴方が馬鹿だったからです、それ以上の理由は無い。
やっぱり、アインシュタインの「相対性理論」それには、相応の間違い?があった、と言う事ではあるまいか。
”そこ”を理由にして発生してた異常は、それでもまあ、元凶的な存在の「気が狂ってた」その理解でオチに成りそう、そう言う。
何故か?
馬鹿だったからです、思い上がってた、と言うか。
アインシュタインの理屈を土台にする結果で、論戦での常勝が得られた結果、何だか自身を妙な存在と誤認し、その結果で、そのバグに飲み込まれた、と言う事だろうか。
馬鹿な人間の主義主張が、ウケる訳が無い、訳だ。
それを今まで、「誰かが妨害している!」私は正しいのに!そう言い張ってた、様な。
お金を稼ぐ方法は、シンプルだ。
働けば、その成果に応じた対価は得られる。
独裁創作にはしかし、かなり低い限度がある。
そして、”それ”で稼いだお金の使い方それは、”その”家庭内の問題でしかない。
その家では妻が全部管理してる。
隣では夫が全部管理してるらしい。
その向こうでは、なんか一歩100円が月に使って良い上限だ、と言う話。
どれが正しいのか?
なんでそんな余計な事に首を突っ込むんだ、バカが。
そんなオチ。
今まで、そこで深くてエンドレスな議論が始まってしまった。第三者から見たらバカバカしい無意味な井戸端会議でしかないが本人らにしたら何かの聖杯戦争の如くだった。
今は、「それはその家庭の問題だ」他者が口を出せる話じゃない、と言う声の方が上だ。
もちろん、家庭内で有っても、そこに神は有る訳だが。
それが、違う秩序をまあ、今後は創る。
その筈だ、が。
流石に、一人で出来る仕事にはやっぱり、限度はある。