あげちうのブロマガ

病と言う源にある誤解か期待

最近、ちょっと混沌はしている、訳だが。

要するに、「ぎみぎみ」を聞いたかの、0番「皇帝」の”知人?から”オーダーがあり、0番経由で、”現場の人”がそのオーダーに基づいて描いたのが、これ。だと思う。

結果、かなり色々な思惑が混ざってる感じだが、それでも、趣旨その物は歪んでないし、或いは問題としては起きてない、感じ。

そうすか?

ともかく耐久テスト、と言うニュアンスでは、”この”歌は、土台としてはかなり堅牢さは持っているという、一つの実証ではあるのだが。どうも理解?としては、「あげちうとは関係ない存在によるオーダー」ストリード、”それ”から創られた作品、として、しかし「匹敵するクオリティ」をこれは見せている、訳だ。

それは、つまり「ストリードを第三者が使っても、問題は起きない」と言う、そう言う意味ではあるのだけど。

歌の傾向で、かなり「解りやすいが当り前」なプライバシーはまあ、確かに考慮しないと、ちょっと疑問は混ざって無い、とも言えない。

日本とアメリカの、文化的な差?と言うのもある。「こんな女性は居ません」と言うのが日本の萌え系美少女だが、欧米には、結構いるのだ。

日本のオタなら萌え―とか美少女キャラに言っている光景が、アメリカ側には変態にしか見えない、そう言う。

主観の問題ではある。

その意味で、「皇帝」王の椅子がアメリカに渡ったそれは、良いか悪いか、微妙な気分には成るのだけど。

結論では問題は無いし、帰結は単に期待されるそれでしかない。

「視聴者の倫理観が」試されはする。

どっちにしろ、萌え美少女だからと言って「それを玩具にして良い訳じゃない」のだ。

当り前が、何処か、今は歪んでいる。

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