戦争は良くない。
ほぼ、100%に近い同意がある正論だ。
これを超えて動こうとするのは、世界その物を敵にする事には成る。
賢い選択とは言えない、「正義は勝つ」なら、100%の敗者側、だ。
理想としては、だ。
何時結果が出るんだ?と言う感じだが。今想定する「新聞記者」他は、平成の始まり時にしろ、ともかく「王の権威その決定に逆らう」事こそをブランドにしてしまっていて、現状にしろ、”それ”こそが彼らの存在意義の様なモノでさえ有る。
ともかく平成が始まる際の「王の権威」に、独裁性を残す些細すぎる?欠点があった…それは間違いなく、その破綻もまた、それが原因では有ったのだけど。
で、今の「大賀さん」は、完璧なのか?
と言う事は、決定に逆らったら死ぬのか?だ。
「結果は出ている」感じはある、もちろん彼らの負けとして、だ。そしてまた、彼らが”それ”に対して戦いを挑む、と言う図も予定調和でさえ有る。その先は、彼らの自滅しかない、と言うのが主張の結論だが、しかし。彼らは平成の時、”それ”を超えて無理を通してしまった訳で。それをまた、彼らは当然の様に目指す、訳だ。
その先で、その売春婦は殺された、訳で。
そして平成は、”それ”を無かった事にして、そのまま続けてしまった。
そこに有ったのは相次ぐ天変地異に壊滅的な経済不況である。その後遺症は今もまだ続いている、しかし。それでも、”彼ら”はまだ、罰せられた訳じゃない。
そして結局、最後は「大賀さん」を挟んでの二択になる、双方は最大でも50%の支持までしか得られない。等価な二択は常に不測の事態と不明瞭な未来を創る。確実性が消える、と言うこの「想定としての理想」的な環境は、実際には結構ストレスが有る。何処まで万全を期しても、負ける時はあるのだ、人間は神様には成れない。
”彼ら”は、その先を目指す、訳で。「私は神だ」昭和天皇の些細なミス?ではある。不遜である、と言う物言いは、彼らには何の意味も無い。
彼らが、幸せな状況では、もちろん無いにしろ。
現状の懸念その物で有る事もまた、現実ではある。
貴方は神を信じますか?