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あげちうのブロマガ

労働よりも万引きを選ぶ時

それは最初から躓いてしまう。

何を持って「正義」正解、それとするのか、そこには分岐しかない。

やっぱりと言うか、主観の問題だ。「役立たずのゴミ野郎」これが”そこ”に起こって、そこに向いてしまう、それはある。自身らの能力的不足に寄る現状だが、それを自覚せずか、或いは意識するが故か、「打開」を選択しない、それは自身の失脚か、喪失か、”そう言うのを”意味するからだ、しかしその結果、ウクライナは戦火に包まれて行く訳で。

意味が無い事を言っているのは解っていても、何だか不意に、そこには逆説的にか、邪が居ない事も無い、気はする。

「あんたらは馬鹿だからな、まあしょうがない」

とか、むしろ始まりの歪みでさえ有る様な、ともかく「王の権威」それは、アインシュタインにしろ、そう言う事は確か、公言していた。


理想がまず、ある。

「商店街が総じて流行ってる光景」だ。その店一つ一つが、マクロで言えば国の様な感じ。どの店も、適当に、店に比した来店が有り収入がある、そう言うのが好ましい。問題を起こさないように、それは上手く調整せねばならない、そこにこそ知恵を使わねばならないし、それの追及にこそ価値はある。その先に経済的発展、そう言うのはあるのだ。

という結果の追求で、つまり「独裁者は居てはならない」と言う理解があり、その先に、しかし「独裁者同士の対立」があり。それをそのまま放置すると戦争に成るので、それは何とか中和せねばならない。とは言え、話し合いその他、仲裁の為の方法論はどれも不足がある、「不動」それがそこに無いから、だ。その果てに戦争が何故あるか?物理的な決着にしか、その「不動」を見出せないから。

そのままでは戦争は不可避である、が。逆に言えば「物理」それを再現した場所なら、その”不動”が得られるのでは?だ。「紛争解決機構」仮想空間に創られた現実に比する戦場で、実際に「戦争」する事で決着にしよう。今の所、これが最善、という話に。


この先に有るのは、こんな返答だろうか?

「つまり、私が間違っていると言いたいのか?」

複数の、それこそ歴史を重ねた人々の、そんな数多の声の塊、だろうか?

コンピュータの発展が齎した「別の解法」か、それともだが。その前の、「戦争は避けられない」それを抑止するのは強力な権力しかない!と言う、昭和期の帰結だろうか…それは、最終的には或いは「マスコミ」パパラッチ、そう言う場所へ帰結した、感じで、そう言うのが今のインターネットやGAFAを構築した、訳だが。”それ”はまだ、自身の或いは人生を賭したその答えに依存し、この「紛争解決機構で決着にしよう」それに対して抵抗?している、と言う感じだろうか。ともかく解っているのは、表側、その「強力な権力に因る統制」それは、利益性を産まない、と言う絶望的でさえある”現実”だ。ただもちろん、相手は違う事を考えているし、そして歴史もある。

そうだろうか?歴史を見ても、何もかも、盛者必衰だったりするのだが。


民主主義と言う暗雲は、今だ晴れない。


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