あげちうのブロマガ

奈落へ落ちていくその分岐

同意は主観でしかない。

だから、最終的には”物理的な結果”を重視する事には成る。

そう言う理解で行くと、最後のポイントは「同意が無い」場所ではある、受け取り方は個々に委ねられていて、そこから何を得るか?は人それぞれに成る訳だ、ともかく或いは「売れた」それは事実として有る、それはそれとして、不動。

何で?

そこに対して自分の「答え」を語る、それは最終的には意味がない行為なのかも。


主観として、「アマチュアの未発表の趣味の」デザインをパクった、と。「アマチュアの学校祭に出展した」デザインをパクった、と。どっち?と言うと、どっちも許されざる行為、ではある。どちらも法には問えない巧妙さでだ、50歩100歩とはこの事だ、が。しかしこの二つは、前者は売れず後者は売れた、その大きな差の前に、重要な議題と、その混沌を形成はしている。

後者は、「ワルキューレの伝説」は、良く売れたのだ。ゲームセンターは存続した。

前者は、「アサルト」は、あまり売れなかった。ゲームセンターは損失を感じた。

多分、「じゃあネットに発表されてるネタならパクっても良いんだ」それは通らない。或いは当時、「パンを盗まねば死ぬ」レベルで、パンを盗んだ、それは許されない罪か?そう言う話ではある、当時は昭和天皇が亡くなり、この領域は混沌としていたのだ。その、盗まれた人物がその後、「王の権威」として確定する事に成る、その理由の一つにもなったかも。今のコロナ禍の如く、ネタが無ければ潰れる、と言う危機感が異様な切実さを持って発生した時、そこに、そのネタがあった。

アサルトは?

”それ”は「人々に見せてない」のだ。そう言う視点では、「大衆」今の神様、その許可が出なかった、そう言う事は言える。

貴方は神を信じますか?

真剣に聞く事でも無い、相手の自由意思に抵触する。


ともかく”今は”、この二つは方法論として上手く行かない。如何に困窮してた時でも未発表のネタを盗む、のは道理に反する、それは言える。ネットにアップするだけでは「発表した」に成らない、と言うのも、今は通る話か。ただ、価値観として前者は自身の行為に対して「なんで?」が続くと言う、それはそれで、個性の問題だろうか。その企画した存在にとって、その行為は問題に成らなかった。

そしてその人物はその後、或いはそのまま、大問題を起こしたのかもしれない。
結果で言えばどうも両者とも、その後、「王の権威」的な資格、それは失う事に成るのだが。

ともかく、破産してる存在から、お金を取る事は出来ないのだ。

今はもう、”そこ”は「そう言う相手」ではある?

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