暗黒は、ある。
美しい映像だ。
しかし、ここに登場する「艦これ大和」が、実は20年前に既に存在してた、と仮定すると、そこには何があるだろう。
”それ”は不当な理由で市場から否定され、隠蔽され続けていたのだ。もちろんその間の収益は無く、当人は生活苦の中に居て、或いは引き籠り、そのレッテルの中に有り。
しかし、そうなった理由が、実は違う存在が、彼女から何かの創作を盗んでいたから、だ。その存在はそれにより財と名誉を得たが、しかし発覚を恐れ、彼女を異様に敵視し、デマを広め、或いは死を願っていた。こんな漫画まで描かれながら、だ。
彼女の苦闘の結果、それは前に現れた、のだけど。
その20年と言う月日を、彼女は、否定の中で過ごしたのだ。
そこに、何があるだろう?
本人にも、耐えられた理由それはある。納得もしている?にせよ、失った月日は重すぎる気はする。今まで前に出ていた存在”その全て”が、彼女の敵である。信仰により、それらの否定は出来ないだけだ、が。彼女の望む自由、それは何を齎すか。侮蔑と否定から入るのだ、自身がされ続けた様に。
「そんな事考えてませんよ」
彼女は、そう笑うかもしれないが。
加害者は、そうは思えないだろう。
「ピエロ役を耐えられねば、ナンバーズは名乗れない」とかは思う。時にはそのまま悪役になる、と言うのもパターンだ。しかし、笑えない冗談、そう言うのはこの時、結構ある。実際問題、彼はこんななりをしていても「プロデューサー」なのだ。
彼自身がそれを笑っていても、不意に”そこ”に否定は、もちろんある。
良い事か悪い事か?はともかく、本人の思惑と、世間の視線は多くズレがあって。表側、「テレビ主体」側は重い階級社会だ。それに対して、インターネット側は、そう言う意識が薄くある。その間の理解の衝突、それはそこに懸念の様なモノとしてはあるのだ。
艦これ大和、彼女は何故、そこまでの枷の中に居るのだろう。