先に出た、「テーブルとテレビらしきものしかない店」は、要するにネットカフェとかゲームセンターとか、そう言うお店な訳だ、が。
その店が利益を出す為には?その「一時間500円のコスト」に耐える、許容されるコンテンツが必要になる訳だ。先の例では一応は、そこを運営する人々は、その生成に成功している、と言う事になる訳だが。
”その”内容が、問題の「原価だけでも5000円掛かる所を4000円で」そう言うモノだったら?それは、何を世間に齎すのだろう。
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”それ”は良く聞く、「町工場の悲哀」でしかない。大手からコストダウンを叩かれ、受注を切らない為に原価割れを覚悟して、受ける。そのうち経営が成り立たなくなり倒産、大手は単に、隣へ切り替えるだけ、だ。ここで生き残らん!としたら?隣よりも安く大量に受注し、”隣を潰す”しかない。もちろん潰せた!としても「状況は変わらない」のだ、赤字覚悟のリスキーな受注の連続、それはどんどん増え続ける。農業からあぶれた人々は結局、同じような悪循環に陥るだけな訳だ。
大手にしてみたら、”これ”はイメージからしても「良い女」だろう、”自分の為”に、命を捧げて尽くしてくれる訳だ。自分から進んで身を削ってくれる、何かの鏡でさえある。肯定こそすれ、否定する理由は何処にあるのか?「こういう存在こそが選ばれる」のだ、それが現実である。
選んでもらわねばならない、その”本人”、原価割れを受注する側も同意している、その時、破綻が解っていても?外部的に「ダメ出し」はあまり意味が…ない。この状況を改善する必要がある、なら?結局「発注する側の大手が潰れれば良い」訳だ。立場的上位を笠に買い叩く様な所なら?それは当然の末路ではある。そう言う視点で見れば?大手は相次いで業績を悪化させている…「現状は、そういう方向に入っている」のだ、過去の横暴は呪いの様に、大手の首をじりじりと締めている…、そう言う絵は有る。
しかし破綻するまでに時間も必要、破綻する時には「まず現場から」だ。その時、「解っていて何もしなかった」そう言うのは、何か問題が無いのか。
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先のネカフェかゲームセンターはその辺、健全に抜けたのだろうか。