想像すると根深い。
「新聞記者」それは、売春婦かを強姦し自殺?させたが、”それ”を権力を用いて隠蔽した、と言う過去が有る、としても。
まず、その証拠を今更、外部から探すのは困難だ、当時の状況、話題を追うと、隠蔽と空気がありそこから推測するしかなく、”それ”を持って証拠と言うには弱すぎる。
そして、それは何故可能になった?と言えば、もちろん今の与党側に、”権力側に”何らかの関与が有ったから、だ。新聞記者”だけ”が、邪悪な欲望を我慢出来なかったそれが原因で、その事件は起きたのか、隠蔽は出来たのか?それは追及側にするとあまりにも苛立つ物言いだが、責任を回避しようとする時、”そこ”に逃げ道はある、民主主義であって。
結局、”それ”への追及は、今の与党、政府その物を批判する、と言うベクトルを持つ訳だ。事実であれば、それは野党の理不尽な追及にも意味が出てしまうし、”それ”を止める理由を失う部分ではある、絶対にお前らには協力できない!と言う、強い否定にも道理は有る訳だ。しかし、罪状その物は明確な証拠そう言うのは無く、「何となく気に入らない」そこに集中してしまう。知らない世間の多数決が、野党側の理不尽なる罵詈雑言に不快感を持っても、彼らは逆に、世間へと反発を向けてしまう。
たった一人が犯した罪とその隠蔽で、或いは今の日本はガタガタになってる、訳だ。逆に言えば、その一人かを断罪するなり、否定側に納得し得る結果まで持ち込めれば、野党も何かの矛を収めるのかもしれない訳だ。与党側の、「大変申し訳ない、知らぬ事とは言え我々の不徳の致す所だ、加害者はそちらが望み期待する様に罰した…これで矛を収めて貰えないか」それは、今後の政権運営を安定させたい時、何かの理性的な対応へ戻れる道かもしれない。道理はどうしても求められる。与党側に「証拠」が残ってない、と言う事は無いだろう、それを考えると、何を選択すべきか?ではある。
とは言え、唐突に北朝鮮は剣呑を高めた。
それは、この事態と全く無関係と言えるだろうか。
正義、それは何を語る。