どうでも良い苦悩ではある。
「このジジイー!」
目上に対してなんて口の利き方だ!
「このデブー!」
お前人の事を言えるほど良いスタイルじゃねーだろ!
「このハゲー!」
…ここだけ、反論が出来ない。
その向こうに居るのが、英国のウィリアム王子であろうと、だ。
要するに、「その人にとって”どうにもならない事”を責めるのはどうなの?」と言う事なのだけど。人格的に、”そう言う人”の意見は重視するべきか?しかし、何故かハゲに関してだけは常に許容されてきた、気はする。
この種の暴言の抑止を考える時、この部分だけが何だか、いつも消えない。
世の権力者の、或いは男性の、実力者の、その半分以上が恐らく該当するのに、だ。
その多くが、大概は先生、ともかく目上、”その”立場であっても、だ。
「このハゲ」その瞬間、何故か上下が入れ替わってしまう。
理不尽すぎる。
結果、或いは安倍首相、もしくはトランプ大統領の、大いなるアドバンテージには成っている訳だが。
深刻な話題ではある。
しかし、重要な話題か?と言うとまあ、微妙だ。
今の把握と理解として、毛が薄くなるのは、その存在の、”その”部分の「可能性の消失」ではある。結局、管理者側になると禁止項目が増える、特に目上に逆らう様な真似は自殺行為に成りかねない時、”そこ”は最初から切り捨てる事に成る訳だが。結果、「そこ」に毛が無くなる。そこは「無い」訳だ、出来ないのではなく。
結局、毛がある奴らにしたら?相手の理解力の無さは「我慢出来ない何か」になる、訳で。それがあの「このハゲー!」と言う、暴言に繋がってしまい、何か悪い状態かの様に、言われた方はダメージを受ける。「無い」のだから、やってみなければわからないだろう?と言う話は出来ない訳だ。出来る可能性を信じる人々には、相手のその対応は理解出来ず、我慢出来ない。
また、理解、或いは立場として「出来るけどやらない」費用対効果が悪く意味がない事は解っているので、そう言う場合は…”白く”成っていく。この場合は、或いはあまり批判はされない、ちょっと切ない様でもある。苦労がにじみ出てる容姿に対しては、何だかむしろ威圧さえされる何かではあり。そうは言うが、老いたみすぼらしさ、それはやっぱり、そこに有る。
まだ「このハゲー!」とか罵倒されてる方が、マシかもしれないのだが。
そこには可能性を失った、そう言う心理状態は、或いは有る訳で。
「進行を止める」と言う感覚では、”ここ”を意識する事は、意味がある。ハゲ側にしろ、相手が”それ”で止まってくれれば、話も通りやすくは成る、が。重篤な欠損で有る事は間違いないのだ。この辺、ウィリアム王子とヘンリー王子、二人のその妻の素行には、ある種の合致がある。前者は大人しいが、後者は割と自由闊達だ。後者の方が問題を起こし物議をかもすのだが、それでも出来るなら、後者の方が…望まれはする。
「まともな議論」を期待する時、このネタは、意味があるだろうか。