想定するとそれほど難しく、無い。
一本の30分アニメに必要な作画枚数を、6000枚と設定する。
一人二カ月で400枚作画と換算すると?15人のアニメーター。
一人20万円、とするなら、20万円×2ヵ月×15人、600万円。
その他もろもろのコストを合算し、まあ1000万円が必要。
これを、一本5000円純益でペイすると?2000本の売上が、採算ライン。
採算ライン以上の売上をボーナスとすれば、現場的にも張り切るべきだが。
”それ”でどうして、アニメ会社はブラックで、倒産が相次ぐのか?だ。
状況が変わった、とは思いたいが。
それでも今も、自分も、例えばニコニコ動画のチャンネル設置で収益化!に、何となく、具現性を感じない。
今回の、池袋暴走事故の様に、いわゆる「上級市民」に成ると、Googleその他の履歴さえ削除し、情報をかなり高度に隠蔽してしまえる、と言う事が発覚はしてる。
”それ”が出来る体制であると言う事が、若干垣間見えた訳だ。自身の主張に多少は、正当性が増した。
それでも、マスコミは、容疑者的な高齢者を、何故か「さん」付けで呼び、犯人扱いをしていない。
一応、去年と今年で大きく変わったのは、113歳の野中政造さんが亡くなって、「一休さん」の声優だった藤田淑子さんが亡くなった、事だ。
前者は、「テレビへの要求」を形成してた人、らしく、それは「昭和天皇は何と言ってるんだ?」そう言う物で。
そして後者は、その「昭和天皇の声」を代行し得た存在、だったらしく。
この二人が居なくなった事で、テレビと言う箱は「昭和天皇の声」を拾おうとはしなくなった、”要求が無くなったから”だ。
結果、”存在する目的”を失ったテレビは、新たに「ほぼ同じモノである」大賀さんの声を拾って、報道する様になった。
この結果、今年に入り、かなり良識的な報道?の傾向が出てきた、訳だが。
自分にとっての問題は、「大賀さん」は紛争解決機構であり、別に何かの意思を持ってる訳じゃない事だ。だから、作者であるあげちうとかの意向を、別に重視はしない。あくまでも或いはガンダム、その”ガンプラバトルの結果を表示する”のみ。テレビその物には思想性が消えてしまった結果、現場への責任は逆に、或いは「より協調されるようには成った」感じはある。パワーバランスがあげちう側に傾いた訳じゃ、決してない訳だ。結果、自身にとっての状況の改善は、今も尚、遅れている。敵は今だに、国家レベルの戦力を有する訳だ。
まあともかく?テレビが大賀さんの結果表示装置と化した、のなら。その存在は「中華思想の皇帝」それを、或いは「朝鮮王朝の末裔」その思想さえも、更に「王の権威」と言う特権も、根本的には無意味にはしている。以前の様などうにもならなさ、は薄れた感はある、が。
…しかし既存の「マスコミ」だろうか、それはやっぱりまだ、「中華思想の皇帝」それを探しては椅子に座らせている感じはある。今回のプリウスで母子を轢き殺した人も、実際には”その結果で発狂した”のかもしれない…あれだけ報道が忖度するって何だろう?とは感じる。何らかの加害意識が有るんじゃ無かろうか。だから、しかし。
若干垣間見える”向こう側”の偉容には多少、狼狽えはする。
要するに、「お金が無い!」のは、大衆が求める作品、それを提供しないからだ、が。つまり、”それ”を提供してしまうと、池袋の事故が、問題なく”全部”報道されてしまう、訳だ。結果、それは無茶な要求を始める。水爆を持ったカバみたいな最強生物が、襲ってくる敵を打ち倒す!とか、そんな。昭和で有っても売れなかったのだ、水爆を用いての世界平和、と言う感覚を大衆は肯定出来ない、しかし。
撃って良いの?
意外と、”ここ”にある声はリアリティ、だ。
”そう言う人”が、或いはそれに同意する人が今回、結局は事故の当事者に成ってしまった、と言う視点は、或いはある。「今まで通り」それを続けようとする時、「令和」と言う新元号は、意外な程に否定感の壁を創っていて。良い事か悪い事か、世界は安定しつつストレスの中に、不意にある。
ともかく根本には、創作が売れない!大問題があるのだが。