あげちうのブロマガ

もう一歩を踏み込んで終わる

物理的な問題ではある。

嘘も要らなければ、過電流も勿論、要らないのだ。

”その”電子基板を社会の足場にしよう、とすると。これらの要素は厳に切り捨てる事には成る。

どんな理由で有ろうと、欠陥品は要らない。
もちろん、過電流は厳に否定せねばならない。


前に出た、「豚の絵」の感覚で言えば、「”これ”は社会じゃない」が。もちろんこれは、昭和天皇の、「王の権威の」感覚だ。ユダヤ教の王、それらは、”これ”を社会に投影して制御しよう、そう言う試みを目指した?懸念が、結構有る。とは言え、平成初期の、無視できない執着ではあり、その辺を追っていくと、やっぱり問題は出てくる。

これは社会の構造では無い、とは言え、「って感じだったら困るだろう」機械ならともかく。そう言う、DOS/Vへ向いた”それ”を投影するなら?その限りじゃない訳だが。

牢陽帝側のその補正、その必要は出てくる、時。
その主体は、牢陽帝に無ければ成らない、”それ”に逆らったらダメな訳だが。

そもそも、「システム2」それは、ユダヤ教の王、その側にこそ主体が有った訳で。目的は、「牢陽帝」それを正に牢に閉じ込める、事だ。”それ”を目指すなら、そう言う衝動こそ原理、だろうか。

ともかく社会全体で言うなら、「マスコミは要らない」時、同じく「それを必要とした要素も要らない」訳だ。色々考えるに、マスコミは「殺して良い人々」を選抜し得た可能性がある。そして、独裁性、”それ”を優先したいなら?彼らに”協力”して貰わねばならなかった。ただ結論で言えばこの帰結は、独裁性の暴走により「殺してはダメな人々まで殺した」時、終わりに成った訳だが。

DOS/Vと同じく、”使える”為には「機械としては悪くも無いが」人の社会としては無理だ、そう言うテーマ?を被せて補正する必要がある、それは現場の上位、逆らえない何か、で無ければ成らない訳だが。

「マスコミ」には今、割と「あなた方は罪人です」その視線を向けられつつはある。
ただ「独裁者」過電流を産む何か、”それ”に対しては、今も、その限りじゃない訳だ。
逆説的に、過電流が原因で壊れたパーツを罪人扱いする、と言う絵でも、或いは。

基板としては、両方とも、切り捨てる事には成る。
そのコンセプトで言えば、「いらない人間が居る」訳だ。
彼らの存在は、社会その物を脅かす害である、共に現に切り捨てねばならない。

…帰結は、同じだったろうか。


直ぐに、次の基盤が必要になった、そう言うのは多分、ある。「システム2」は、土台からして盗品ではあり…元から素性に問題は有った訳だが。基盤としての、”自身の危険性”を考えても、「ゲームセンター用の基盤としては欠陥だった」と言うそこは変わらない、だろうか。”デザインを”土台として盗まれたと言う「ブルーガンダム」その物も、あげちうの趣味の産物である。それは趣味でしかない、それ以上の感覚は当時だって、無かった訳だが。

何が、何処がダメなのか。

相変わらず、そこに有る問いは、今も消えない。

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