流れは深刻ではある。
問題は相変わらず、反逆者が「仕事しろ」を背に襲撃に来る、そこではあって。
一応幸いと言う点では、「けものフレンズ3」が、今の事態に成っている、のはその面では吉事だ。如何なるパワーを背にしようと、ダメなものは「駄目」だ、それは突っぱねた。”それ”は今の環境に対しては危険すぎる凶悪なセルリアンでしかない、それはいらない。
そして、ジャパリパークが今も開園に繋がらないのは、そのセルリアンの脅威によって来園者を迎えられない、それが問題として消えないから、ではある。
「仕事しろ」が正論なだけに、邪を背にした”それ”に対処が難しい、それがあの脅威と成っている、訳だが。
…しかしその結果、現在”これ”を抱えるSEGAは、ゲームセンターを切り離す、と言うオチに成ってる。
「仕事しろ」それを最大にストレスとして抱える事業部だったろう、そこは接客他、”それ”しか要求されないのだ、SEGAなのに?クリエイターでは無く労働者でしかない。「ジャパリパークに”役目”を与えるべきだ」的な思惑は、それに対して返答し得るとしても、その前に有る壁は、それをたた「仕事しろ」それに変換して襲い掛かった。
感じ。
視点では、ジャパリパークは少なくとも動物園がそうであるように、「彼らは存在してるだけで価値がある」そこへ持ち込むべきだ、が。そこはどうだろう、「ユダヤ教の王」その影響だろうか?「人間は皆平等である」そうで無ければ成らない、特別な存在など居てはいけない、それを前にする時、そこにはセルリアンが発生する、その他大勢が働いてるのに?だ。この極論化は、性差さえ無視して単一の衝動を押し付けてくる訳だ。それにより危険性は増し、施設の維持は難しくなる。
現状、フレンズの存在意義とは、「セルリアンを倒せる」そこではある。ジャパリパークに与えられた役目は”本来は”そこでしかない、だろう。物理的には、その結果によって「現世」に発生し得る厄災は回避し得る訳だ、来園者のストレスなどが軽減する、それはゲームセンターにも求められた”何か”ではある。
と言う施設を目指したのか?
企画原案にしろ、そこには混沌しかない。
或いは深刻なプライバシーに近い「理由」により、この物語は始まってしまった、結果だろうか。”現実”にかなり繋がってくるダイレクトな「問題」を、かなり不透明に内包していて、エヴァンゲリオンにも通じる様な「追及」を、好ましくない感じで要求する、そんな事態ではある。
なんで働かないの?
誰が生活費出してるの?
このままずっとそんな事をして暮らすつもりか?
深刻である。
なにこの深刻さ。
それを言われる多くも解っている事だ、だからこそ→「それは駄目だ」そこに、その或いは、企画原案にしか解らない様な、そんな混沌が有り、それが有る限り、パークを破壊しかねないセルリアンは発生し、そして開園は遅れ続け、投資と言う名の負債だけが膨らんでいく。
漫画でしょう?
ガンダムにも通じる感覚だ、これは、”そうとも言えない”のだ。