あげちうのブロマガ

神に成れないという絶対と否定

理解の異相はある。

人間は神に成れない、のだ。

そこに対して反発し突き進む先に、或いは新型コロナウイルスの猛威、それさえ有る。

「王の権威」昭和天皇、”それ”は神様か?と言うと、原爆投下の結果でアインシュタインがその資格を失った様に、そこには問題がある。絶対じゃないのだ、最後の最後で主観が出るからこそ、それは「中華思想の皇帝」それを産み、それによる問題を止められない。

その先に、「ガンダム」が有る様に、”その先”が有る。

紛争解決機構、だ。

いわゆる”神様”にしろ、最後の決着を或いはサイコロに求めた、のだ。
その時、そのサイコロが何故か、今に繋がるガンダムの結果に成った…そう言うのはある。
「王の権威」神様が、”そのサイコロに最後の選択を委ねた”瞬間に、何かは利益性を持った。

結構、エポックな事態ではある。

”神様”が、「世界一正しい存在」が、自身の判断よりもサイコロの判断を選んだのだ。
”それ”は神様なのか?
でも、その結果が今もまだ、何かの業界を支え続ける重要なコンテンツとなった訳で。

そう言うモノだ、人は神には成れないし、その方が良い結果が出る。

今、誰かがまだ、神様に成らんとしているのかもしれない。
積年の執着だ、芸術家が諦めたその場にこそ、何かの悲願が。

そこを諦めてこそ、その芸術家が到達した境地?はある。
人は神には成れないのだ。

もちろん、世界を救うのは、人の手に因るのだけど。
神では無く。

目的は何か。

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