PUBG(PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS)は、雰囲気だ、「紛争解決機構」それを目指しているか、そう言うオーダーだった、可能性が結構、ある。ドン勝(最後の生き残りになる事)になった際に、「だから!」妙な期待が、そこに有るのだが。
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「…で?」
「このゲームで勝利した」時、果たして何が、どうなるのだろう?特に何かを賭けて戦ってる訳じゃないのだ。ガンダムの様に「何となく」とは言え、敵がプレイヤー?の任意に成る(意識の問題だ)訳でもない、”適当”に、そこに居た100人。彼らとは特に敵対している訳でもない、ともかく「仲間以外を全て殺せ」その命題でそこに居るだけだ。戦場の雰囲気は、良く出ているとして。紛争解決機構、”それ”はそう言うモノだろうか。
理屈的な感覚で、この場での紛争解決は「無理」だ。
何となく漂う不足感、フリゲ?的な手抜き感を感じる印象の悪さ、それは或いは、「オーダーを満たしてない」そこから来るのかもしれない、仕事としては、ふざけている。未だに「完成」にならないまま続いているのは、それでもその完成を目指しているのだろうか。だとすると、抜本的な変更が必要になるが。
「…面白いか?」
この場合、正しくは無さそう。作者側に、重い「軽犯罪の重過失」それが付いているのかもしれない。スタッフに”それ”が居る限り、達成は出来ない、その方が「正しい」。現状でそこそこウケてしまっているのは、「これで良い」そう言う、大衆側の断言だろうか。決して目的を達する事は出来ないのだ、それで良い。
…ただ、この虚無感は「中華思想の皇帝」特有の物ではあって。”それ”がここに、かなり色濃く表れていると言う事は。この領域がその存在を無視出来ない、そう言う意味ではある。アメリカもまた、潜在的には不可能を可能にしたい衝動がある。原爆の使用を「良かった」少なくとも「仕方が無かった」勝つ為には!そこに落とし込みたい。世界全てを同意はさせたにせよ、物理的な”何か”が覆らない。覆さねば、アメリカは。”これ”には日本さえ同意しているのだ、世界レベルで否定する奴は居ない。だったら。
「人を刺してしまったのだが、無かった事に出来ないか」
…それは、無理だ。
経済も、結局は数値である。今はコンピュータやネットワークによるやり取りが基本、だ。だから、或いは「改竄」が容易だ、そう言う視点が無いとも言えない。FPS的な話として良くある、「実は仮想現実だった」逆に、仮想現実だったら、全てがコンピュータの中だったら、そう言う「人を殺した」等々も無かった事に出来るのだ。そう言う視点では、方向は一つしかない。現に、不景気さえ無視出来れば、平成は仮想現実で支配し続けた時代でもあった、のだ。原爆の使用は正しかった、アメリカは勝ったのだ。或いは、その倫理による支配は結局は、何かの破綻を見せるのだが。
実感としての景気の悪さと、良さと。PUBGこの世界はそれでも、何かの解決を目指しているのだろうか。