要求は単純に
「もうちょっと利益が出る様にやってよ」
しかし。
DOS/Vの根幹としてか…どうにもそこに、不同意が有る。そしてそこに、「売れない人々」の同意も集まり、中華思想の皇帝が匿われて、しまう。
ハード的に「使える」良くも悪くも一夫一婦論の上で、だ。その上での「使える」それは「最良の選択」で無ければ成らない。その結果、ハードはそのボトルネックを抱えた上での「最強!」を目指す事になり、採算性は消えてしまう。原理的な衝動だ。その辺は、あらゆる面に現れる、特にソフトには顕著か。採算性が無く、オーダーを無視し、ある意味で「不可能」に挑む方向性ばかりが出てくる。素人考えても、こんな方向性は何時までも続かない。スポンサーが居なければ成り立たず、お金が尽きたら?スポンサー毎終了である、それは、或いは中華思想の皇帝に支配?されていた日本の大企業の様でもあって。
「売れなかった」その現実に対しては、ダメ出ししていくべきでは、そう言うのはあるのだけど。
かなり前だ、「美鶴さんの長い妄想」と言うソフトを創った事がある。売上本数2だったorz。
win95以上対応「美鶴さんの長い妄想」
※ちなみに今のハードでは微妙に動きませぬ
VMwareとかエミュで動かす方が良いかも
色々な状況がある、ともかく「一人で創りました」それは、金銭的にはまず評価に成らない。ASPで使ったαビットマップを用いて、当時の2Dとしては難しかった半透明マスク合成を駆使しての画面は、相応のインパクトもあったが、「全く」結果には成らなかった(怨)。ただ、それだけの労苦を注ぎ込めた、それは作者にはリアルで、作者的にはそう言うのを否定出来ない状況は、少し有る。カウンタ制御、当時の実情、否定と環境の中では不可能だった可能性は多々あるが、「そこを何とか」そう言うのが、結局は「今のDOS/V」だった訳だが。”それ”で創らせたアプリの殆どは、やっぱり”同じような結果”しか、出なかったのではあるまいか。”これ”を続けていても意味がないのだが、何かが原因で業界は、”これ”をまだ、続けている様な気がする。「そんな筈が無い!」あるいは。
だとしたら、今の殆どは、あまり利益を出してない事になる訳だが。それは「国家的な戦略」でさえある、DOS/Vを守る。それは共産主義を抑止しつつ利用する、アメリカにとって重要な国益の一つだ。何かが後ろを支えてしまう、のだろうか。しかし。
今考えると、考えが浅かった、そう言うのは有る。自分では無く、DOS/Vの戦略が、だ。本来のコンセプトが「不足有る環境の中で如何に成果を出すか?」だった訳だ、劣勢こそ本懐である。だから、ハードパワーに訴える!と言うのは実は好ましくなかった可能性は多々あり。ただ、PC-98をそのハード的優位で潰した対価、だろうか。ハードによる優位性!に固執した結果、本来のコンセプトを捨てる事になり、結論でその環境は崩落を始める事になった、のかもしれない。「DOS/Vはゲーム機じゃないんですけど」それは今、全く小さな声に成ってしまっている。
何となく、強引な趣旨変えを要求している気は、する。現状のハードに対しての、増設?それを要求しているのだろうか。ともかく”今まで”のキーになった誰か?は居て、それが失脚?的な状況になった、何となく「戦争に負けた」感じの、後。相応に、立場は責任を取られねばならないのではあるまいか。そして、代わりの人として、可能なら「無理な事は無理」そこで諦める、止めさせる様な、そう言う方向性を…置くべきでは。