面倒は続く。
「黄昏の狩人」がもし本当に盗まれていたとしたら、その追及は無視出来ないが。
その作者が、追及する存在さえ居なくなれば?それは根本的に問題が無くなるのだ。
今、どれだけの人間が、インターネットを基幹にした”この”システムで暮しているのか?
それを前にしたら、選択肢は剣呑な一つしかない。
利己的で都合のいい理解、と言う感想は、被害者側のそれではある。
しかし50vs50その、「戦争」と言う状況に陥った時、いわゆる正義と言うのはその時、その判断を潜める。
その後は単純な断言しかない。
「勝った方が正義」だ。
そして現状、文句を言う奴は、何故か結論で”オリジナルの作者一人しか居ない”のだ。
最終的な部分は何故か、今も抑えられている、作者は孤立し、何処とも接点が持てない。
例えストリードで利益が発生してても、北朝鮮扱いでは経済封鎖が許容される現実がある。
”そこ”との接触は今の、新型コロナウイルス封じの如く、否定されるのが表の正義だ。
丁寧に慎重に、犯罪に成らない様に注意深く、”ここ”は「社会と切り離されている」のだ。
何時まで経っても、一人対世界、そう言う図式が変わらない現実がある。
一応主観では、この戦いは今、「戦勝国vs新型コロナウイルス」そう言う図式には成っている。
アメリカを始めとした戦勝国は今、かなりの劣勢にはある。
被害者側としては、今はこの発生に関して問題を問えない。意識の問題だ、倫理は護らねばならない。万引きも立派な窃盗で、その蓄積は人生に重大な損失を発生させる。間違いは間違いだ、過ちは正さねばならないし、罪は問わねばならない。邪悪とは何か、正義とは何か。「黄昏の狩人」それは、あげちうの書いた物がオリジナルだ。世界は、”それ”を勝手に横取りし使っていて、しかも。
しかしこの時、アメリカ在住の黒人、かつては奴隷として連れてこられた人々に今、新型コロナウイルスの猛威が無視出来ない、と言う。
支配層、黒人を侮蔑し奴隷として扱ってきた白人層は、「搾取側では無かった」とでもいうのか?新型コロナウイルスのそれは、本当に「強奪連鎖の加害側を検知すると、重症化する」そう言う物なのだろうか。
とは言え、オリンピックはほぼ、黒人の独壇場、ではある。
この場ほど、実際には強奪連鎖、”それ”が顕著な場所も無い、かもしれない。
強いモノが弱いモノを支配する、自然の摂理だ、負ければ食われる、当然の話。
この場で強い黒人、と言う人々の意識に何が有るのか、それは何となく思う所はある。
ともかく新型コロナウイルスは発生してしまった、物理的な帰結として。
結末は何処か、まだ解らない。